ママ友いじめから知った人生で大切なこと
私の体験が少しの希望になることを願って
小学1年

51.感謝できる部分があるはず。それはいじめをやめるチャンス

 

細貝さんとのゴタゴタを経験して、ひとつ気が付いたことがある。

それは「私はずいぶん信用されている」ということ。

 

細貝さんが豹変しておかしくなって。

言動も行いも、あり得ないと思うほどひどくなった。

 

極めつけはあの車の一件。

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この話を私は色々な人に話して、意見を聞きたい・対策を立てたい、と思った。

でも結局しなかったし、できなかった。

 

それは裏付ける証拠がないというのもそうだが、それ以上に「下手に刺激したら危ない」と思ったからだ。

 

ここまで暴走できる細貝さんを刺激したら、何されるかわからない、どれほどエスカレートするかわからない。

そう思ったら、刺激しないことがとても重要だと思った。

だってまじで危険だからね。

 

それで気が付いたんだけど。

私のことをこれだけ平気で刺激してくる、しかも三津屋さんに至っては何年にも亘っていじめをしてきている。

私のことをあれこれ言ってる割に、危険な人だと思われてないんだと気が付いた。

 

だって「こいつやべぇ」と本気で思ったら、その人の悪口はそう簡単に言えない。

悪口を言ったことがばれた時、何されるかわからないから。

 

だけどこれだけ色々いじめを繰り広げて、ターゲットにして、悪口をばらまいてるってことは、危ないって思われてないんだよね。

むしろ信頼されてる。

 

そうそう。

私をいじめてるのは、人柄を信用してるからだしそれだけ評価してくれてるってことなんだな。

これだけのことをやっても道を外れないくらい、私がちゃんとした人間だって彼女達は知ってるんだな。

 

それに気が付いたら、なんだか笑っちゃった。

三津屋さんも細貝さんも。

信頼してる相手だからこそ意地悪ができる、その矛盾に気が付いてないんだなぁと思った。

 

楽しかったころの記憶

三津屋さんとの関係がこじれて。

三津屋さんからのいじめはもう5年目に突入している。

 

いじめをやめる気配が感じられないどころか、色々な人を巻きこんでいるあたり、まだまだやる気なんだと思わされてしまう。

そして尚且つ、三津屋さんもやっぱり平気で子どもを巻き添えにする。

それどころか、子どもを狙ってる感もある。

 

私達親子をターゲットにして多彩ないじめを繰り広げる三津屋さんを、憎々しく思う事もある。

だけど。

だけどそれ以上に、こんなことやめてくれたらいいのになって思う。

 

何をしてくれなくてもいい。

いじめをやめてくれれば、それだけで。

貴方に助けられた

三津屋さんを恨んだり憎んだりするのは簡単だ。

それだけのことが私達の間には色々あった。

 

だけどその逆もあった。

三津屋さんに助けられたと思う部分もたくさんあった。

 

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あの頃の私に。

明るく笑いかけてくれて、楽しい時間をくれた。

 

そう。

私は三津屋さんに助けられていた。

私は三津屋さんに救われていた。

私は三津屋さんのことが好きだった。

 

だからかな。

憎むよりも、恨むよりも。

 

こんなことやめて欲しい。

こんなことに興味を無くすくらい、三津屋さんが幸せになってくれたらいいのにって。

心の火種を捨てられるくらい、満たされてくれればいいのにって。

ずっと思ってた。

 

お互いに感謝できる部分がある

以前こんなことがあった。

麻未ちゃんとひらりが公園に遊びに行って、そろそろ17時なのでお迎えに出た時のこと。

少し歩くと歩道でうずくまっている子がいた。

 

近づいてよく見るとそれは桃亜ちゃんだった。

「桃亜ちゃん、どうかした?大丈夫?」

「・・・うぅ。痛い。」

 

ひざを手でギュッと押さえて、痛そうにしている。

どうやら転んで擦りむいたようだ。

 

500円玉くらいの擦り傷で血はそれほど出てなかったんだけど、擦った部分のズボンに穴があいていた。

ズボンに穴があくくらいなので、なかなかの衝撃だったんだと思う。

少し内出血しているようだった。

 

救急箱を持ってくるより、ここからなら家に帰って手当した方が良さそうだ。

桃亜ちゃんが膝を押さえたまま動けないようだったので。

「お家までおんぶしていくよ?」と提案する。

 

「・・・うん。」

私は桃亜ちゃんをおんぶして三津屋家に向かった。

助け合って生きること

三津屋家の玄関に着いたとこでチャイムを押し、桃亜ちゃんを背中から降ろした。

玄関を開けた三津屋さんは私を見て一瞬体を固くした。

そして隣にいる桃亜ちゃんに気が付いて、ぎょっとしていた。

 

「桃亜ちゃんが転んで怪我したみたい。ズボンに穴も開いちゃって内出血してると思う。桃亜ちゃん、動けなかったからおんぶしてきたんだけど。様子みてもらえるかな。」

「あ、そう、だったんだ。ありがとう・・・。」

「じゃあ桃亜ちゃん、またね。お大事に。」

 

私はひらりのお迎えがあるから小走りで公園にむかった。

ママ遅いとひらりに言われたけど、まぁしょうがない。

 

もちろんこの時も絶賛ママ友いじめ中。

三津屋さんがご近所同級生ママ友を掌握していた頃かな。

 

だけどさ、私達はやっぱりお隣さんでご近所さん。

こうやって何かのご縁で助け合うって事あると思うんだよね。

憎みあって嫌いあうことだけが、全部じゃないと思うんだよね。

 

お隣さんとして助けあう場面が、こうやって実際にあった。

 

そう。

お互いに感謝できる部分だって、私達にはあったんだよね。

 

辞めるチャンスは何度もあった

嫌なところ、ムカつくところがあっても。

相手に感謝できる部分があると気が付くことができれば。

自分の悪意を止めることができたんじゃないかな。

 

私と三津屋さんは、同じ学年・同じ性別・家がお隣の子どもを持つ親。

避けようと思っても、どこかで関わるし、どこかで繋がりを持つ。

 

それなら。

相手をどうにかして傷つけてやろうと画策するより、相手に感謝できる部分に少しでも目を向けたら。

そしたら、こんな事にはならなかったんじゃないかな。

 

相手に感謝できる部分があると気が付いたら。

荒れ狂う気持ちを静めることもできたんじゃないかな。

いじめをやめる事だってできたんじゃないかな。

 

これだけ関わって生きているのだから、感謝できる部分は絶対にある。

ただそれを見ようとしていないだけだ。

ただそれに目を向けようとしないだけだ。

 

お互いに感謝できる部分がある。

だってそれは動かしようのない事実なのだから。

それでも突き進んでいった

感謝できることに気が付けば、いじめをやめることもできるはず。

相手の全てが悪ではないのだ。

相手に助けられた自分だっているはずなのだ。

相手にお世話になった自分がいるはずなのだ。

 

だから。

感謝することはいじめをやめるチャンスだと思う。

 

だけど。

だけど三津屋さんは突き進んでいった。

 

私の事も、ひらりの事も、悪者に仕立てていじめの道を邁進した。

 

何がそんなに彼女を駆り立てるのか、私にはわからなかった。

そのいじめにかける情熱が、どこからくるのか私にはわからなかった。

 

三津屋さんは止まらない。

三津屋さんはやめない。

 

いじめをやめるチャンスはいくらでもあったと思う。

突き進まずに、やめる選択肢だって三津屋さんは選べたはず。

 

ここまで私の悪口を言いふらし、いじめて悪意を向ける事ができるんだもの。

それくらい私の事を信用してくれてるんだもの。

 

本当は感謝することだって、できたんじゃないですか?

本当はいじめをやめることだって、できたんじゃないですか?