物心ついた時すでに父親はおらず。
貧困のなかで母子家庭生活を送っていた私。
祖母の家に預けられ生活は改善したものの、近所の子ども達からは疎まれる存在だった。
母の再婚で引っ越しをし、近所の子と離れた先では新たないじめが待っていた。
小学6年生までの私の人生は。
普通といわれるご家庭の子とはかけ離れたものだったと思う。
どうしてかな?
どうして自分にはこの人生が用意されてたの?
私もみんなのように、幸せで穏やかな子ども時代を送りたかった。
自分は必要のない存在どころか、迷惑なお荷物なんだと感じることもあった。
私がいなければ、幸せになる人がたくさんいるかもしれないと思ったこともあった。
この世に生またことに心から疲れた日もあった。
だけど生きていた。
生きることに毎日必死だったせいもあるけど。
私は知りたかったのだ。
なぜ、私が、この人生を歩いているのか。
その理由を知りたかった。
受け止め方を変える
差別・いじめ・偏見。
それを心の中でたくさん感じながら、生きていた。
いまにも壊れそうになる自分を必死に守り、そのことにエネルギーを使ってたと思う。
母子家庭も、親の再婚も、複雑といわれる家庭も、自分ではどうしようもないものだった。
それを理由に避けられいじめにあっても。
私には変えようもないものだから、本当に困った。
心に傷をうけて。
その心を守るようにして生きてきたけど。
ある時ふと思った。
この人たちは何でこんなひどいことをするのだろう?
この人たちは何でこんなひどいことができるのだろう?
意地の悪い人間が怖かったし、汚らしく思えた。
だけど。
守ってるだけじゃ変わらない。
知らなければ、相手を。
見てみよう、この目で、相手を。
正体を知れば恐怖は薄まる
私はいじめをしている子達について考えてみる事にした。
なんでこんなことしてるんだろう?って。
いじめをやってストレス発散してるだけ。
私をサンドバックにしているだけだ、と思っていた。
そういう意地が悪いやつらだ、と思っていた。
でも、よく目を凝らしてみて。
よく観察して考えてみたら。
整った環境に産まれて育っているのに。
この子達はとっても欠けているんだと思った。
自分の欲求を満たすためなら。
平気で人を利用するし、足を引っ張るし、奈落の底へ突き落す。
そして、周りの人達の幸せを好まない。
口では良さげなことを言っても、あとで引きずりおろす。
人としての心が、とっても欠けていると思った。
そしてそんな自分自身を直視できないから、威張って強そうにみせて。
自分は正しいんだと虚勢をはっている。
もっと言っちゃえば。
それくらい小さい人間なんだと思った。
自分を大きく正しくみせたいと願うくらい、小さな人間なんだと思った。
か弱くてか細くて脆い。
弱い弱い人間。
いじめをやる人たちの正体は。
自分の弱さに不安恐怖を抱いている、ただただ心の弱い人間だったのだ。
怖くて恐ろしかったのは。
相手の正体を知らなかったからだと思った。
「怖いから見たくない」と、目を背けているともっと怖くなる。
よく見て、よく観察して。
見抜くのだ、相手を。
いじめをやる人たちは。
強さや、優越感や、羨望、思い通りにすることを、求めてやまない。
そして。
弱すぎて自分のなかにそれを見出すことができないから。
だから人をどうにかして得ようとしている。
ただそれだけの、か弱い人間だったんだ。
よく知れば。
そもそも恐怖など感じるような相手ではなかったのだ。
自分自身に集中する
そんな人間に。
丁度良く利用できそうだからと、ターゲットにされたらどうすればいいか。
相手がしてくることはたいがい。
自分がされたら嫌だと思うことをしてきている。
悪口を言って評判を落とそうとしているなら、自分も同じことをしてやり返す?
無視されているなら、自分もどうにかして仲間を作って無視をやり返す?
だけどそんな事したら。
相手と同じになっちゃうんじゃない?
同じ程度の人間になっちゃうんじゃない?
それに。
そんなことにエネルギーを使って、自分は幸せになれる?
考えれば考えるほど。
いじめをやる人達と泥試合をする気にはなれなかった。
それよりは。
私はいじめをやる子達がなれないような人間になるべきだ、と思った。
真に実力をつけて。
自分に自信をつけて。
自分を高めて磨いていく。
そうすれば、この子達がいくら束になってかかってきても。
揺るがない自分になれる。
揺るがない自分になれれば、もう怖くない。
揺るがない自分になれれば、心に余裕ができる。
揺るがない自分になれれば、私は自由になれる。
私は周囲の雑音に目がいき過ぎだったなと、思った。
いじめられている今こそ。
自分の夢や目標、好きなことに集中しよう。
そしてこの苦境にあっても。
自分を高める時間ととらえて進もう。
これは自分自身に集中して、高めるための訓練なのだ。
そう思うことにした。
そう受け止めることにした。
学びだと気がつく
こんな人生を歩いているのは。
もしかして何か罪を犯して、それの罰ではないかと思ったことがある。
だから人から嫌われて。
だから人と仲良くなれない。
私は罪人?
私はダメで悪い人間?
そしてこれは罰なの?
そう思ったら、体からどんどん力が抜けていって。
どんどん気持ちが沈んで。
どんどん立ち上がれなくなっていった。
自分を責めると、身動きがとれなくなる。
自分を責めると、不安で不安でたまらなくなる。
自分を責めると、すべてが自分のせいのように思える。
そして気がついた。
いじめをやる人たちは。
これを狙っていたんだな、って。
生きる気力を根こそぎ奪って。
立ち上がれなくなる。
死んでしまいたくなる。
それを狙って「いじめ」をやってるんだなって。
気がついた。
そんな人たちの思い通りになるわけにはいかない。
私は。
私だけは。
絶対に「私」を信じることに決めた。
この世界に産まれた理由?
ある時、ゆきちゃんと遊んでいて聞かれたことがある。
(ゆきちゃんについてはこちら↓)
「どうしてこの世界に生まれてきたと思う?生まれてきた理由って何かな?」
ゆきちゃんは私にそう問いかけてきた。
確かに。
それについてしっかり考えてみたことがなかった。
ゆきちゃんはどう思うの?と聞くと。
「考え中だったから、西園寺さんの意見も聞いてみたかったの。」と言った。
私も「生まれてきた理由」について考えてみた。
そこに思考を傾けた時、ふと頭に浮かんだのは。
「修業かな?」だった。
私はなぜだか。
修業をしにこの世に生まれてきた気がしたし、その考えが正しい気がした。
修業って言うと、なんだか辛そうなイメージだけど。
そうじゃなくって。
体験したり経験したりして、自分を高めにきた。
そのためにこの世界にきた。
そんな気がした。
この思いつきが正しいかどうか、というよりは。
どうしてこの世界に生まれてきたんだろうと考える事で。
今までにはない視点ができた。
とてつもなく広い視野が持てた。
体験をして自分を高めにきていると考えれば。
この自分に起きているいじめも。
すごく意味のある経験だと思えたし。
この自分に起きているいじめから。
自分が得るべきものがあるのではと、考えるようになった。
視野を広くして考えれば
今という短いスパンにクローズアップしてこのいじめを捉えれば。
それはとても辛くて苦しいものと思う。
だけど。
人生という長いスパンで広く大きくいじめを捉えたら。
この経験は自分にとって学びなのではないかと思えた。
いじめを通して、自分を高める。
いじめを通して、人間を知る。
いじめを通して、自分を知る。
いじめは辛くて苦しくて厳しくて。
悔しくて悲しい。
今すぐ逃げ出したいものだけど。
だけど。
いじめを通して知ることもあったのだ。
私が見たのは人の悪い面だけではなかった。
人の優しさや暖かさ。
人としてどう生きるべきか。
人としてどうあるべきか。
私は。
皆と同じ、皆と一緒が、必ずしも幸せではないと知った。
普通が素晴らしいと思ってたけど違った。
自分は自分のままでいいし。
自分の好きな自分でいるべきだと思った。
いじめという辛い経験は、何かの罰なんかじゃない。
きっと後で。
この経験が自分の支えになったと思えるかもしれない。
いや。
この経験が自分の支えになったと思えるように生きるんだ。
このいじめはきっと「学び」だった。
私がよりよくなるための。
私がより幸せに生きるための。
物理的に距離をおく
父と母は最近。
しょっちゅう夫婦喧嘩をしていた。
再婚で結婚したばかりなのに、喧嘩していた。
その理由は。
父が実家へ帰って暮らしたいと言ったから。
実家へ帰って、父方の祖母と同居して4人で暮らしたいと言った。
祖母の家は一軒家。
海が近くて自然も豊富。
そして何より。
祖父が亡くなってしまい、祖母が一人暮らしだったから。
それで父が帰りたいと言っていた。
私は特にこの地域に思うところはないので、引っ越ししても構わなかった。
だけど母は、親戚も友人もいない土地へ行くことになってしまう。
仕事も順調なのに、それも辞めなければならない。
父と母は、今後の人生を見据えて。
どうすることが一番なのか、相談していたというか激しく口論していた。
タイミングの良い引っ越し
6年生も半ばを過ぎると。
中学校への意識がじわりと高まり、徐々に準備が始まる。
私の耳に入ってきた、進学予定の中学校の評判は物凄いものだった。
屋上から先生のネクタイと牛乳が降ってくるんだって。
朝学校にいったら、窓ガラスが全部割れてたんだって。
授業中にバイクに乗った暴走族がくるんだって。
教室に鉄パイプが転がってるんだって。
などなど盛りだくさん。
そう。
この小学校の子ども達が行くことになる中学校は。
当時流行の、荒れた学校だった。
正直言って。
それを聞いて「行きたくない」と思った。
今ただでさえいじめられてるのに、そんなところへ進学したらどうなっちゃうのか。
目を付けるってのが流行ってて、上級生に待ち伏せもされてたし、行ったら確実に危なそう。
私にとって。
親が相談しあっている「引っ越し話」は、とてもナイスタイミングな良い話のように思えてきた。
あなたはどう思う?と、親から引っ越しについて意見をきかれた。
母の気持ちを思うと気が引ける。
父も母も会社を辞めると思うと不安にもなる。
だけど私は、荒れた中学に行くよりは新天地に希望を感じた。
「どっちでもいい。どっちでもいいけど、選べと言うなら引越ししても良いと思う。」
そう答えた。
コミュニティからの卒業
私の意見がどう、というよりは。
結局最後は父がどうしてもと押し切る形になって、引っ越しが決まった。
私は小学校卒業と同時に引っ越しをすることになった。
それは県をいくつかまたぐ、遠方への引っ越しだった。
引っ越しが決まった時。
このいじめの経験は「学び」だったんじゃないかな、そう思っていた頃だった。
思うに。
この地域での学びが終了した。
終了したから卒業がきた。
もしかしたら、そういう事かもしれない。
小学校の卒業は、この地域からの卒業でもあった。
引っ越しをして、新しい地域に住み。
新しいコミュニティに属した。
いじめと決定的にさよならするためには。
物理的に距離をおくのが一番効果的だと思った。
環境を変えることで、それまでのコミュニティと決別することができる。
私はこの卒業を境に「いじめ」にあうことはなくなった。
友人もたくさんできたし、わたしのまわりでいじめが起きることもなかった。
そう。
この住宅街に家を建てて。
子供を産んで。
お隣のママとご縁ができるまでは・・・。
(次回から「小学2年」編いきます)