ママ友いじめから知った人生で大切なこと
私の体験が少しの希望になることを願って
小学4年生

86.気持ちよく転校を決めた。私達親子は学びの場から卒業した

 

クラスの無所属女子の態度がおかしくなって。

ひらりはすぐに何が起こったのか察知した。

 

ひらりが体調を崩していても。

ひらりが不登校になったあとでも。

 

孤立させようという企みは相変わらず続くのだ。

 

ひらりが、弱っても困っても苦しんでも悲しんでも。

容赦などしない。

とことん追い詰めたいと、そんな意図があると、感じざるを得なかった。

 

ひらりは再び、3限で帰宅する生活に戻った。

お腹が痛くなるというよりは、教室にいたくないとはっきり思うから。

 

その生活を続けながら。

先生に「転校」の意思を伝えた。

 

残念がってくれたし、力不足で申し訳ない、とも言ってくれた。

 

少し待てばクラス替えで、5年生が始まる。

だから色々考慮して、過ごしやすいクラスに入れてもらえるかもしれない。

 

だけど。

こうやってしつこく追い詰めてくる三津屋家が近くにいる限り。

同じことの繰り返しになるだけなのだ。

 

私は。

先生はとても協力してくれたと思うし、力を尽くしてくれたと思うから。

だから感謝の気持ちしかなかった。

 

時期は2月の終わり。

まだ寒いながらも日差しに暖かさが感じられる、そんな頃。

 

今までの。

先が見えないトンネルのような暗い日々を抜けて。

柔らかで暖かい春が。

もうすぐそこまで来ていると感じられ、晴れ晴れとした予感に包まれていた。

 

さあ転校しようぜ

転校すると決めれば。

どんどん事態は動き出す。

まずはひらりの意思確認から。

ひらりと先生の話し合いの時間がもたれ、本当に本人が転校を望んでいるのかを確認された。

 

ひらりは、これまで仲良くなった友達と引き離されてきたこと。

今だって少しでも仲良くなった子は連れて行かれてしまう。

無視・悪口・仲間外れは、不登校から復帰した今でさえ続いていて変わらない。

 

ひらりの意思は固かった。

ひらり自身も。

このままこの学校に残るより、転校して新たなスタートを切るほうに明るさと心地よさを感じていたんだと思う。

 

確かに、転校先の学校がどんなところだか。

それは行ってみないとわからない。

 

だけどこんな時って。

自分の心が感じているものに正直になって。

心地よいと思えるほう、明るい気がする方に進めばいいんだと思う。

 

無理して今の環境にいることはない。

だって人生は、まだまた楽しいことがいっぱいある。

だって人生は、まだまだできることがいっぱいある。

 

だから心のままに進もう。

そういう生き方を自分に許せばいいんだ。

先生に呼ばれて全部話す

次は私と先生の面談が行われた。

ひらりの口からすでに。

隣に住んでいる三津屋さんがこのいじめに絡んでいると聞いたそうだ。

 

先生との面談が始まってすぐに「とにかく全部話してください。」と言われた。

 

質問されたら正直に答えるタイプなので。

悪口とは思わず聞いてくださいと前置きして。

ひらりがまだ乳児だった頃から、三津屋さんとなにがあったのかを話した。

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それは周囲を巻き込んで行われて。

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それでも私を孤立させられないとなると、まだ子供であるひらりも狙った。

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そして今も、それは変わらない。

何がそこまで三津屋さんを駆り立てるのかわからない。

 

先生は私の話を聞いて、ところどころメモを取りながら。

とても驚いていた。

 

三津屋さんって、そんな事するんですか・・・。

三津屋さんって、そんな人なんですか・・・。

唖然としながら聞いていた。

 

やはり。

三津屋さんが先生にみせる顔と、私に見せる顔は全く違うようだ。

 

それに三津屋さんはいじめのプロ。

証拠を残さずに、自分のイメージはしっかり守りつつ、狙った相手にダメージを与えるなんてお手のものだよね。

 

私は、先生の質問に答えながら。

全部しゃべった。

今まで誰にも言わずにきたこの話を、ぜーんぶしゃべっちゃったもんねー!

 

校長先生と面談

その次にやってきたのは校長先生との面談だった。

教育委員会に了承してもらうためにも、校長先生と話すのは必須のようだ。

 

校長室に通されて、話をしながらまず感じたのは。

色々報告はあがってるんだろうけど、校長先生って事情をよく分かって無さそうだなってこと。

やっぱり現場で直接かかわるわけじゃないし、全体を把握しなきゃいけないから、こんな感じなのかな。

 

そうでありながらも。

校長先生が思う範囲でアドバイスをしてくれたり、心配してくれたりして。

親身に対応してくれるなぁというのをとても感じた。

 

転校の意思が固いこと、先生方や学校に感謝していることも伝えたところで。

校長先生も「教育委員会に掛け合ってみます」と言ってくれた。

 

体調不良も不登校も事実なので。

いじめのストレスが原因だったことも事実なので。

だから転校の許可はおりるでしょうとのこと。

 

私は校長先生に会うときとても緊張したけど。

帰りはとてもすっきりした気持ちで学校を後にすることができた。

 

4年間通ったこの学校。

色々あったけど、たくさん育ててもらって学ばせてもらったと思う。

 

今この時に。

私の心に感謝が湧いていてよかった。

ちゃんと「ありがとうございました」と言えてよかった。

転校までの段取り

その次のイベントは転校先を決めること。

今の学校から転校するなら。

車で通学することになるけど、学区が離れところがいいんじゃないかと勧められたけど。

 

私とひらりは、すぐ隣の小学校を検討していた。

 

理由は。

幼稚園のころの友人がその学校にたくさんいるから。

後は。

あまり遠いと通うのが大変だし、放課後一緒に遊んだりするのに支障がでそうなので。

 

だからできれば隣の学区で隣の小学校がよかった。

 

どこに転校するかも選べるようだったので、ひとまず見学に行かせてもらうことになった。

実際は通ってみるまでわからないけど、学校の雰囲気だけなら見学でも感じられる。

校長先生が隣の小学校に連絡を入れてくれて、昼休みの様子を見学させてもらえると決まった。

 

隣の小学校は、とても風通しがよく明るい雰囲気に溢れていた。

4年生の教室の前にも案内してもらったら。

掲示物に懐かしい名前がいくつもあって、みんなどうしてるかなって改めて思った。

 

昼休みに教室前に行っても、懐かしい顔に出くわさなかったのは。

みんな体育館やグラウンドに行っていて、教室にいなかったから。

 

この小学校では、そうやってみんなで遊ぶ習慣が根付いていた。

 

ひらりと一緒に見学した結果。

やっぱり隣の小学校にしようとなって。

校長先生は、そのまま教育委員会に連絡をしてくれた。

 

教育委員会から許可が出た後。

市役所に行ってくださいと言われ、書類での手続きをした。

 

その書類の「理由」欄に、どのような文言を書けばいいのかという見本があって。

その内容がぎょっとするものだった(笑)

 

「我が子は人とコミュニケーションをとるのが苦手で、そのため以前の学校で友人ができずなじめませんでした。環境を変えて新しい人間関係を築くために転校を希望します。」

 

そのように書くといいですよ、と言われ。

さすがに「え?これを・・・?」という気持ちになった。

 

内容を変えてもいいと言われたので、若干変えさせてもらった。

「きちんとコミュニケーションがとれていたにも関わらず、友人関係を阻害され学校に通うのが大変な状況に陥りました。」

前半をこのように変えた。

 

さすがに。

これから残るかもしれない書類に、ひらりがコミュニケーションが取れなくてそれが理由なんてウソでも書けない。

 

とても印象深かったので。

こんなことがあったという参考にして頂ければ(笑)

 

転校するとなってから色々と段取りがあって。

その度ごとに時間も労力も使ったっけど、望み通りの結果になって本当に良かったと思っている。

 

学びの場から卒業した

卒業式の練習が始まった頃。

3限まで通うとその練習に引っかかったりするし、結局卒業式にはでないので練習の必要もない。

それで、また早めの春休みに入ることにさせてもらった。

 

この小学校に通うのが最期の日。

 

みんなに気がつかれないように、先生が荷物をまとめてくれていた。

それを受け取って車にのせる。

やっておいた方が良いプリント類も一緒にもらって。

 

担任の先生は授業を別の先生に任せて、3限で帰宅する私達親子を見送りに来てくれた。

名残惜しそうにしてくれた。

これからの生活を応援して、励ましてくれた。

 

私達親子は、先生の負担になっていただろうし。

迷惑だな頭が痛いなって、そう思ったこともあっただろうに。

 

それなのにこうして、幸せを願ってくれる。

 

それがよくわかって。

本当に本当に、感謝しかなかった。

3人だけの卒業式

暖かな陽気で、春の風が吹いていて。

桜のつぼみがほんわり開きかけていた。

 

まだ咲いてない桜が、咲いていると感じるほど晴れやかな気持ちで。

 

先生と。

学校と。

色々あったみんなにも。

 

それでも一緒に学んでくれてありがとうという気持ちになれて。

この学校を離れるのを嬉しく思えて。

ちゃんと今この時、感謝ができて。

 

ああ。

卒業なんだな。

 

この学びの場だった小学校と地域から、卒業するんだな。

そういう実感がひしひしと湧いてきた。

 

ここにいるのは、ひらりと私と先生。

たった3人。

たった3人だけの卒業式。

 

澄み渡った青空と春の風が、私達の前途を祝福してくれているような気がしていた。