旧ママ友さん達との復縁は全く考えていないし、できるだけ安全な距離感でいようと思っている。
ただひとつ、気になっていたのは「どっちが言い出しっぺ」なのか。
どちらがいじめをしようと画策したのか、それが分からなければ、自分の行動を検証できない。
なにが問題だったのか、なにがきっかけだったのか、全くつかめていない。
なので、自分が嫌にならない範囲で旧ママ友さん達を観察してみることにした。
自分の手を汚さない「いじめ」
リビングの窓から見える情報、2Fのベランダから聞こえる情報などなど。
すると・・・。
三津屋さんと堀内さん、2人の関係に明らかな上下関係があることに気が付いた。
堀内さんは三津屋さんに過剰なサービスをしていた。
子ども達が「お腹がすいた」と言ったら、お菓子とジュースを提供するのは決まって堀内さん。
斗輝くんが泣いてぐずったら、自分の子そっちのけで面倒をみるのも堀内さん。
桃亜ちゃんが何かしたら、手放しでほめちぎるのも堀内さん。
三津屋さんが言う事に、何でもそうだそうだと同意するのも堀内さん。
そして、それを当然のように受けているのが三津屋さん。
なるほど。
やっぱりこのいじめの主犯は三津屋さんか。
どうみても三津屋さんのほうがボスって態度。
自分のために友人を利用する
てことは、堀内さんの様子がおかしくなった時。
あの時三津屋さんは、すでに堀内さんに手をまわし、色々な言葉を吹き込んでそそのかしていたのか。
そして私を攻撃する堀内さんをみて、してやったりとほくそ笑んでいたわけか。
ふむふむ。
これはたちが悪いな。
堀内さんが攻撃していて、三津屋さんは仕方ないからそれに合わせる風を装っている。
だから、もしいじめの責任を追及されたとしても。
三津屋さんは「私の本意ではなかったけど、仕方なく」とか「堀内さんが・・・」と言い逃れできる。
自分が主犯なのに、手を下すための実行犯を用意する。
自分の手を汚さずに、いつでも安全圏にいられるよう準備して行動してる。
まさか自分の憂さを晴らすために堀内さんを使うなんて。
それに乗ってしまう堀内さんもな・・・。
堀内さんが「峰岸さんも仲間でしょう?」と言ってくれたら、いじめにはならなかったのに。
そんなの甘いか。
それにしても。
三津屋さんはいじめに精通しているな、と思った。
桃亜ちゃんの暴力のこと。
やっぱりあれが気に障ったのだろう。
それなら。
三津屋さんに言わなければ良かった?
言わなければこうならなかった・・・?
これまでの事を振り返ってみることにした。
一線を越えない付き合い方
出会ってからを思い出してみる。
三津屋さんは、とても人当たりが良く明るくて話術も巧みで、一緒にいると楽しい人だった。
ましてや「いじめ」の達人だとは誰が想像するだろうか。
そんなイメージとは程遠い人だった。
共感を求める人には注意
ただ傾向として、気になる部分があった。
それは「お揃いが大好き」ということ。
三津屋さん、堀内さん、私の3人で、お揃いのキーホルダーを付けようとか。
桃亜ちゃんとひらりで、お揃いの服を着せよう、お揃いの髪留めにしようとか。
私たちは一緒だよ、同じでしょ。
仲が良くなるにつれて、そういうのが増えていった。
お揃いにしたがるのは「物」だけではなくて、「考え」や「感じ方」も含まれた。
だから「そうかなぁ?」とか「・・・どうだろ?」っていう答えをすると、咎めるような目つきをされた。
三津屋さんが好きなものは皆好き、嫌いなものは皆嫌い。
堀内さんが好きなものは皆好き、嫌いなものは皆嫌い。
私が・・・以下同文。
それは確かに、自分が受け入れられてる気がして、甘やかな心持ちではあった。
痺れるほどの一体感、陶酔感、仲間意識がそこにはあった。
だけど。
そこからさらに関係が進むと。
私たちは同じだから「言わなくてもわかるよね」「察してるよね」になってくる。
私はそれを求められていると感じていたし、言わなくてもわかるでしょ?が好きではなかった。
だって「言わなくても分かる」ではなかったから。
私は赤の他人で。
考え方も感じ方も違う。
だから三津屋さんの求めることを、言われなくても察するなんて、たまにしかできなかったし、なんかご機嫌取りみたいで苦手だなって思ってた。
お互いの違いを認められるか
だから。
だからなのだろう。
桃亜ちゃんの暴力を指摘したことで、三津屋さんのご機嫌を損ねたのは。
三津屋さんと私は分かりあっているの。
私と三津屋さんは同じ気持ちなのよ。
三津屋さんが困るようなことしないわ。
という前提に立てば、桃亜ちゃんの暴力は言わない、となるのだろう。
でもね。
言わなかったらどうか、といえば。
私も更に困ってただろうし、ひらりがケガでもさせられたら、やっぱりママ友関係は悪化してたと思う。
こういう三津屋さんなら、もしひらりがケガをしても「ごめんね」とは言うものの、子どものしたことだし分かってくれるよね、で済ませただろう。
もし桃亜ちゃんの暴力で、他の子がケガをするような事があれば。
私は桃亜ちゃんの暴力を言わなかったことで、新たな被害者を作ってしまったと後悔したかもしれない。
結局のところ。
言わないという選択肢は、私にはなかった。
三津屋さんが現実を突きつけられて嫌な気持ちを味わっても、そこは大人として、親として善処すべきだったんじゃないかな。
いじめなんかやってる場合じゃなくてね。
共感から生れる一体感は、安心で温かくて、仲間意識を高めてくれた。
でもそれは万能ではないし、大切なことではなかった。
私たちは別の人間だ。
それが動かしようのない事実。
だから違うのは当たり前だし、違うからこそ気が付くことがあり、違うからこそ成長していける。
お互いの違いを認められる関係こそが、本当は必要だったんだと思う。
大人としての付き合い方
お互いが違うこと、それを良しとしなかった私たちは。
共感が生む仲間意識と一体感に酔っていた。
だから一線を越えてしまったのだ。
自分の心をさらけ出して、自分の心深くに三津屋さんと堀内さんを入れてしまった。
それが今、自分に降りかかってきている。
彼女たちを信用しすぎてしまったから。
酷いと思うし、裏切られたと思うし、心が痛くて痛くて仕方がない。
行き止まりのない穴に落ち続けてるような、猛烈な恐怖感。
もっと早くに、このママ友関係の異様さに気が付けたなら。
三津屋家と我が家は近すぎる。
家はお隣、子どもは同じ歳、同じ性別。
だからいずれこうなってたと思う。
遅いか早いかの違いだけで。
むしろ早めに分かって良かったのかもしれない。
ただ。
心の中に一線を引けていたら。
ここまでのダメージは避けられたかもしれない。
大人として、親として生きていく以上、節度のあるお付き合いをするべきだったのだ、と強く思った。
悪口でつながってはいけない
そもそも私は、人の悪口を言わないように気を付けてきた。
それは以前にも書いたが、悪口は巡り巡って良くない結果をもたらし、人間関係を壊すものだと分かっていたからだ。
旧ママ友さん達との会話には、ご近所さんの噂話や悪口もあった。
私はそのご近所さんをよく知らないし、先入観を持つのは良くないと思い、話半分で聞いていた。
ただひとつ、良くなかったなと思うのは、自分の夫について。
夫については悪く言った。
自分の身内だし、あんな奴の事、少しくらい悪く言ったっていいじゃない、と思ったから。
お互いに信用できなくなる
これまでの話でも触れたが、夫とは上手くいってなかった。
そして、育児中という限られた人間関係のなかで、疲弊していた。
「悩みがあって・・・。」「相談なんだけど・・・。」その言葉を付ければ、言ってしまっても許される気がしていた。
でも結局、悪口は悪口なのだ。
夫のことをけなし、あざ笑い、評判を貶めた。
そう、私はしっかりと悪口を言っていたのだ。
ぶちまけてしまいたいという誘惑に負けて。
悪口を言うと、不思議なくらい盛り上がる。
自分が上に立ったような気持になるのと、胸のうちにあった秘密を共有するという行為が、たまらないのだと思う。
ただ。
その関係が崩れると、一気に恐怖にかわる。
なぜなら。
悪口を言っていた友人の顔が、まざまざと思い起こされるから。
どんな風に悪口を言われているのか、容易に想像できてしまうから。
一緒に悪口で盛り上がっているうちは気が付かない。
それがどんなに危険なことか。
それで何が一番困るかと言えば。
悪口を言う仲間のことなど、まったく信用できなくなるのだ。
表の顔と裏の顔、両方知っているだけに疑心暗鬼が止まらない。
自分に向けられたものが嘘か本当か分からなくなる。
だから結局、悪口で結びついた人間関係は。
壊れるんだと思う。
楽しい話題で結びつこう
ならばもっと健全なことで結びつくべきだった。
そうなるように努力するべきだった。
趣味とか、熱中できることとか、料理でもなんでも。
そういった話題で、ママ友と親睦を深められれば良かったのだ。
楽しくて建設的な話題で関係が深められない。
悪口でしか深まらない。
そんな関係だと気が付いたら、そっと離れれば良い。
自分にも落ち度はあった。
人として弱かった。
心が汚れる発言をしてしまった。
私が悪いのだから仕方がない?
だからいじめにあっても仕方ない?
なーんて、そんなこと全然思わない。
むしろ、いじめをやっていい理由なんて、この世にないと思う。
ただ今言えるのは。
とっても勉強になりましたっ!!!(`・ω・´)ゞ
それだけだ。