ここで少し、私が幼い頃うけた「いじめ」について触れてみようと思う。
私はいじめをやった人の末路を知っている。
私はどうやったらいじめが終わるかも知っている。
前頁でそう書いたのは。
幼い頃いじめにあった経験があるから。
こうすればいじめが終わるんだというのも経験したし、数年後いじめをやっていた人がどうなったかも知ったから。
だから私は。
いじめがどれほど卑劣で汚いかも知っているし、いじめがどれほど無駄なことかも知っている。
大人になって子どもを持って。
それでまた「いじめ」にあうとは思ってもみなかった。
大人になってまで、ましてや親になってまで。
いじめをやる人がいるなんて思ってもみなかった。
私は娘と一緒に再度小学校に入学したような。
そんな気分になっていた。
気が付いたら母子家庭
物心ついた頃、私はすでに母子家庭に暮らす子供だった。
当時は離婚も母子家庭も珍しい、そんな時代。
今では0歳から保育園で預かってもらえるし、小学校には学童もある。
働くママさんにとってはもはや当たり前の仕組みだけど、私が母子家庭だった頃はそんなものはなかった。
母は色々とお勤めをしていたが、それでも生活費が足りず夜も働いていた。
私は日が暮れると同時に布団に入れられて、寝かされる。
母が仕事に行くからだ。
それでも夜中に目が覚めてしまって。
アパートの部屋に一人、真っ暗のなか目が覚めてしまって。
大声で泣いていた。
「おかあさーん!」と泣いていた。
住んでいたのは壁が薄いボロアパートだから。
隣近所から「うるせぇ!だまれ!」と大声で男の人に怒鳴られる。
それに恐怖を感じて、今度は布団をかぶってしくしくと泣く。
そして泣き疲れてまた眠る。
朝になって目が覚めると。
母が帰ってきていて、私の隣でぐっすりと寝ている。
母が隣にいてくれること。
私と一緒にいてくれること。
それが私にとって一番の幸せだった。
幼児にもわかる生活苦
風呂もないアパートだった。
まだ小さかった私は台所のシンクに入って座り、水で体を洗うこともあった。
生活保護を受けていて、特別料金でお風呂屋さんに行けたけど。
それでも週に数回しかお風呂には行かなかった。
節約できるところはしないと、生活が苦しいから。
そしてやっぱり、お腹が空いていた。
炊飯器の中にもお米はない。
冷蔵庫の中には味噌などの調味料とにんじん1本。
飢えていた。
チョコレートと間違えてカレールーをかじったこともあった。
私も他の子どものように、お菓子を食べてみたかった。
だからある日、母が寝ているときにこっそりお財布を開けてみた。
お菓子をこっそり買ってきて、お母さんと半分こしよう。
お母さんを驚かせよう。
お菓子を食べたいのもあったし、母が喜んでくれるかもしれないと思った。
数十円の駄菓子を1つ、買いたかった。
そしたら。
母のお財布の中には10円玉が1枚しか、入ってなかった。
私は愕然とした。
私達親子は、このままいくと生きていけないかもしれない。
まだ幼児だった私はあまりの貧乏っぷりに震えた。
生きていくことに恐怖を覚えた瞬間だった。
迷惑な親子
2歳か3歳の頃から保育園に通っていた。
母は生活のためにも、集中して仕事ができる環境が必要だった。
だけど私はまだ子供。
急に熱をだすこともあった。
保育園まで迎えに来てもらうよう母に連絡がいったけど。
母はなかなか迎えにこれなかった。
保育園の保育士さんが言う。
「本当、ここのうちって迷惑だよね。」
「いつもこうやって時間守らないし、私達が困るんだよね。」
私が幼いから。
何を言ってるかわからないと思ってるんだろう。
私の前で平気で母の悪口を言う。
でもね、わかってるんだよ。
小さくたって、理解してるんだよ。
母がどう思われてるか。
自分がどう思われてるか。
この迷惑な親子、どっかいってくれればいいのに。
そう思われているのを。
私はちゃんと知っていた。
母は必死で働いたけど。
結局貧しさは変わらなかった。
それで仕方なく。
私との生活のため。
私と母が生きていくため。
私は4歳で祖母に預けられ、母と離れ離れで暮らすことになった。
祖母に預けられる
祖母の家ではちゃんと暖かいご飯がお腹いっぱい食べられた。
おかずも私が好きなものを作ってくれた。
おやつもあって、お菓子も食べられるようになった。
お風呂も毎日入った。
私専用の子供部屋まで用意してくれた。
だけどやっぱり寂しかった。
おばあちゃんのことは大好きだけど、それでもやっぱり母に会いたくて泣いた。
週末にならないと母には会えない。
母の仕事が忙しければ、週末になっても会えなかった。
月に2~3回会えるかどうかだった。
私を祖母に預けることで。
母は今まで選べなかった仕事も選べるようになったし、集中して働けるようになった。
おかげで収入も安定してきたようだった。
たまに会える週末には、必ずお土産を持ってきてくれるようになった。
今までの暮らしに比べたら、祖母の家は天国のような場所だった。
他の子たちはこんな暮らしをしてたんだな、ってその時初めて知った。
私の事を「くさい」「汚い」と言って避けていた保育園の子ども達の気持ちが、少しわかった気がした。
母子家庭だからと見下される
祖母と暮らすことになって、1つ約束した事があった。
それは、自分のお父さんについて聞かれたら「海外に出張している」と答えなさいという事。
祖母の家の近所にはたくさん子どもが住んでいた。
それこそそこは、新興住宅地だった。
近所の子と遊ぶようになって、やっぱり聞かれた。
「お父さん見かけないけど、どうして?」
「海外に出張してるんだよ。」
だけど。
次第にそれが嘘だとばれていく。
「あんたって母子家庭なんでしょ?だってこんなに長くお父さんがいないなんておかしいもん。」
結局私は「母子家庭」だからと近所の子供たちに蔑まれるようになった。
「お父さんがいない子と遊びたくない。」とか。
「お母さんもめったに会いにこないじゃん。あんたいらない子なんじゃないの?」とか。
「あんたって、橋の下で拾われたんだって?ギャハハハ!」とか。
保育園にいた頃は迷惑がられ。
臭い汚いと避けられた。
祖母の家に預けられたら今度は。
母子家庭だから、普通の家とは違うから、と。
やっぱりここでも弾かれてしまった。
弱い立場の人間は更に叩かれる
私にしてみれば。
好き好んで母子家庭になったわけじゃない。
母子家庭だからこそ、貧しかったし。
肩身がせまかったし、大変なことも多かった。
お父さんがいないだけで、こういう目にあうんだな。
お父さんがいないだけで、こんなに大変なんだな。
それをずっと肌で感じてきた。
これまで色々あったけど、そんな私達親子はダメ人間として周囲からみられていた。
これまで色々あったけど、それでも頑張ってきた親子だと思ってくれる人はいなかった。
私達親子は。
ただ単純に「母子家庭」という社会的弱者だった。
踏んだり蹴ったりとはこのこと
お腹を空かせた貧しい日々。
母と過ごした不安定な暮らし。
母に会えない悲しさ。
母子家庭だからと見下されて。
周りから迷惑がられ避けられて。
弱い立場の人間を理解しようとする人はいないんだと知った。
弱い立場だから蔑まれて。
弱い立場だから嫌われて。
弱い立場だから追い詰められた。
せめてそっとしておいてくれたら。
そっとしておいてくれるだけでも、全然違うのに。
そう思っていた。
踏んだり蹴ったり。
泣きっ面に蜂。
社会的弱者に世間は冷たかった。
冷たいどころか、更に叩いて痛めつける。
「自分たちは普通だから正しいの」と言わんばかり。
世の中ってそういうところなんだな、って。
幼い私はただ漠然と知ったのでした。