ママ友いじめから知った人生で大切なこと
私の体験が少しの希望になることを願って
回想

56.いじめっこの末路を知る。した事が返ってくるのは本当の話

 

ひでこちゃんとバトルしたのは、私が1年生でひでこちゃんが3年生の時だった。

通っていた小学校は「集団登校」の学校だったので、毎朝ひでこちゃんも一緒に通っていた。

 

ひでこちゃんをボコボコにした後から。

あちこちで私の悪口を言いふらしたようで、通学路の途中で別の登校班の女子に睨まれるようになった。

 

どうやらあちこちで「知ってる?あの子、母子家庭なんだよ。それですごく性格悪いんだよ。」などと言っているらしい。

 

私が小学2年生までは、ひでこちゃんのお姉さんも一緒に通学していた。

なのでそこまでひでこちゃんに困らされる事態にならなかった。

 

問題はその後。

小学3年生になったら、ひでこちゃんのお姉さんは登校班からいなくなってしまった。

中学校へいったから。

 

「姉」という、ひでこちゃんの監視役がいなくなって。

登校班の雰囲気は一気に変わった。

私にとって朝の登校が辛いものになっていった。

 

自分を棚に上げて告げ口

当時は子どもが多かったので、私が住んでいた地区の登校班は「男女別」だった。

登校班は「男子のみ」もしくは「女子のみ」で組まれていた。

 

ひでこちゃんはまず、私を無視するよう登校班の女子たちに指示したようだ。

朝から誰も口をきいてくれない。

「おはよう」すら無視される。

 

そしてそれは1年生になったばかりの、お向かいのまきこちゃんも同様だった。

年下の子達、これまで仲良くしてた子達にも、私は無視されるようになった。

 

それでも。

変に攻撃されるより居心地がいい、そう思うことにして無言で登校していた。

 

そうこうしているうちに、ひでこちゃんは次の仕掛けをしてきた。

それは「荷物持ちじゃんけん」だ。

 

皆が持っている手荷物をじゃんけんで負けた子が持つ。

学校に着くまでの間、じゃんけんをして遊びながら行こうというもの。

 

これまで無視してたのに、じゃんけんには入れてくれる。

変だなと思ったのも束の間。

理由は実に明確だった。

 

じゃんけんは30%公平で70%はやり直しだった。

要するに、30%は他の子も荷物を持つ、70%は私が持つ。

70%の部分は私が負けるまでやり直しが入っての、「負け」だった。

 

しかも他の子は「電信柱3本ぶんだけ荷物をもって歩いてね!」という決まりだけど、私は電信柱3本分荷物を持っても交代にならない。

「あ、忘れてたぁ」とか

「じゃあ、ここから3本ね」とか

「こうやってチラシが貼ってあるのは電信柱に含めない事にしよう」とか

 

急にルールが変わって、いつまでも荷物を持つことになった。

ひでこちゃんのいつもの手口だ。

 

それに加えて無視されているので、私がいくら声をあげても周囲の子は知らないふりをした。

 

しかも今回。

30%は他の子も荷物を持つので、私にだけ意地悪をしているようには見えなかったと思う。

後で責められても「遊んでいただけです」といえるように、狡猾に意地悪をするようになっていた。

わざとではありません

そんなある日。

だれも手荷物を持っていない日があった。

 

さすがに今日は荷物持ちなんてないだろうと思っていたら。

ひでこちゃんはこう言った。

「荷物がないから、今日は勝った子のランドセルを負けた子が持つことにしよう。」

 

はじめはそこそこ公平なじゃんけんで進んでいたけど。

結局ひでこちゃんのランドセルを私が持つ、という形に落ち着いた。

まあ、予想通り。

 

ひでこちゃんは先頭を歩いていて、私は最後尾に行かされた。

 

なので「電信柱3本分持ったよ」とか「ひでこちゃん、交代のじゃんけんして」とか言っても、ずーっと聞こえないふりをされた。

もちろん周りの子たちは知らん顔。

 

背中には自分のランドセル。

胸側にはひでこちゃんのランドセル。

重くて苦しい。

 

歩けば歩くほど具合が悪くなっていった。

何度声をかけても無視されて交代にはならなかった。

 

そこで限界が訪れた。

ひでこちゃんのランドセルを胸に抱えたまま。

「う、うぉえぇぇぇぇ・・・・・。」

 

私は気持ち悪くなって嘔吐してしまった。

もちろん全部きれいにひでこちゃんのランドセルにかかった。

 

ひでこちゃんはすぐに異変に気が付き、悲鳴をあげながら近づいてきた。

(なんだ、すぐ気が付くじゃん。やっぱり知らんぷりしてたんだね。)

私はそう思いながら、嘔吐で汚れた口元をにやっとさせた。

近所の子を見限った

ひでこちゃんは半べそをかきながら、わたしからランドセルを取り上げた。

ひでこちゃんのランドセルは。

吐しゃ物がくっついて、ぐちょっとなってて、異臭を放っていた。

 

仕方がないよね。

何度言っても交代してくれないし、こうなるまで無理させたんだから。

 

ひでこちゃんはランドセルを拭きながら、悲鳴のような声で何か文句を言ってるけど。

私も嘔吐しちゃうくらい具合が悪かったんで、何を言ってるかさっぱり耳に入ってこなかった。

 

すでに学校の近くまできていたので、そのまま学校の保健室に直行した。

少し休んだら体調が戻ったので、その後は普通に授業を受けた。

 

その日の夕方。

学校から戻って習い事に行った。

家に戻ると祖母が何やら激怒していた。

 

なんとひでこちゃんがやってきて、面と向かって祖母に直接文句を言ったそうだ。

小学5年生が、うちの祖母に、だよ。

 

「おたくの子はしつけがなってない」とか

「平気で人に迷惑をかける、問題のある子だ」とか

「登校班の女子全員に嫌われてるからどうにかしろ」とか

 

極めつけは。

「母子家庭だからこんなふうに育つんだ。お孫さんが同じ間違えを起こさないように、今からちゃんと教育したほうがいいですよ。」

とまで言ったそうだ。

 

そりゃ、いつも温厚な祖母でも激怒するよ。

 

全く。

自分のことを棚にあげて何様のつもりだ?

 

私は。

そんな事を言いに来たひでこちゃんに腹が立ったと同時に、大好きな祖母が嫌な思いをした、それが悲しくて申し訳なかった。

私のために怒ってくれてるのがわかって、嬉しくて悲しかった。

 

そして祖母はこう言った。

「ここの子達はずいぶんとひねくれてるね。もしかしたら、これ以上ここに住まない方がいいかもしれない。」

祖母がこう言うのには、理由があった。

 

慈しんでくれた祖母との別れ

その頃丁度、母の再婚話が浮上していた。

再婚したら私を引き取って、また一緒に暮らしたい。

母はそう言ったそうだ。

 

お父さんになる予定の人にも会っていた。

穏やかで明るい感じの人だった。

 

私はお父さんができるのが嫌だったわけではない。

むしろ嬉しかった。

 

だけど祖母と離れるのが嫌だった。

母が再婚して私を引き取るなら、祖母のもとを離れなければいけない。

 

私のために色々と心を砕いてくれていた。

わたしに惜しみなく愛情を注いでくれた。

子どもらしく伸び伸びと生活をさせてくれた。

私の将来を真剣に考えてくれていた。

 

だから祖母と離れたくなかった。

 

そんな私の気持ちを知っていたのだろう。

私以上に私のことを考えてくれた祖母は、母のもとへ行きなさいと言った。

 

このままここにいたら、母子家庭だといじめられ続ける。

それよりは母のもとに戻って、父親のいる暮らしをしてみたら?そのほうがいいんじゃない?と言ってくれた。

 

祖母の勧めもあって。

私は小学4年になるタイミングで祖母のもとを離れ、新しい環境に進んだ。

 

もちろんいじめっ子とも離れることができた。

おかげで「母子家庭」といじめられることはなくなった。

私に父親ができた

父になる人とは母の家で何度も会った。

祖母の家ではなく、なぜ母の家かと言えば。

祖母の家だと近所の目がうるさいというのと、これから住む環境に慣れておくため。

 

一緒に住むことを見据えて、母・父・私の3人で過ごしたり、出かけたりした。

父はテニスが趣味で運動が好きだった。

 

なのでよく一緒に公園で遊んでくれた。

アスレチックなんかも連れて行ってくれた。

 

父にしてみたら。

私は自分の子供ではない。

だから、私なんかお邪魔では?って思うこともあった。

 

だけどそういう人ではなかった。

母より料理が上手で、気が利く人だった。

もう少し言えば、母よりも父の方が家庭的な人だった。

 

母が再婚相手に選んだのが、父のような人で良かった。

私はなかなか運が良いと思う。

新しいお父さんと暮らすことに不安はあったけど、この人とならきっと家族になれる。

そう思った。

 

私はもう「母子家庭の子」ではない。

普通の子になれるんだ、そう思っていた。

 

10年経って知った末路

ここまでひでこちゃんの話をしてきたので、このタイミングで触れておこうと思う。

母が再婚して引き取られてから。

県をまたいでの引っ越しだったので、それ以降ひでこちゃんと会うことは二度となかった。

 

新しい生活。

新しい学校。

新しい家庭。

 

私はそこに適応するのに必死で、必要ないことはどんどん忘れていった。

もちろんひでこちゃんの事など、思い出すことがないどころか忘れていた。

本気で記憶の彼方、だった。

あれほど馬鹿にしてたのに

引き取られて10年後くらいだったか。

祖母があの家を売って、引っ越しをすることになった。

今度は長男夫婦と一緒に暮らすそうだ。

 

そんな時、祖母と電話で話をする機会があった。

「小学3年まで住んでたあの家、売っちゃうんだね。」

なんて懐かしく思い出していたら。

あの地域のよもやま話になった。

 

お向かいのまきこちゃんが進学校に行ったとか、裏の○○さんも引っ越しをしたとか。

そのなかに驚きの話があった。

 

「お隣のひでこちゃん覚えてる?ひでこちゃん、若くして結婚して子供を産んで。で、結局離婚しちゃってねぇ。今母子家庭になって、実家に戻ってきてるんだよ。」

 

Σ( ̄□ ̄|||)え!

な、なんですとぉ~?!

 

ひでこちゃんが母子家庭??

あんなに母子家庭をバカにしていたのに?

あのひでこちゃんが?

行いが「自分に戻ってくる」は事実だった

私の頭の中は「まじか?」で一色になった。

母子家庭だからと、あれほど私を忌み嫌いいじめていたのにね。

55.仲間外れや嫌がらせは日常茶飯事。隣家の年上女子がボス 私が祖母の家に預けられてから。 「母子家庭」の子だからと意地悪をしてきたのは、隣家の女子だった。 その子は私...

 

だけど思った。

こういうことなんだなって。

 

自分がしてきたことに。

自分が悪意をもってしてきたことに。

 

目の前に突きつけられて。

嫌でも向き合わなきゃいけない日がくるんだなって。

 

あれから10年経ってるから。

あの頃より離婚や母子家庭も増えて、世間の目も和らいできた。

そこまで偏見に晒されることもないだろう。

それにもしかしたら、離婚して母子家庭になって「あー、幸せ!」って思ってるかもしれないし。

 

私にはひでこちゃんが今何を思っているか、わからない。

 

結婚して離婚して母子家庭になって。

その過程でひでこちゃんも苦労しただろうし、色々あったんだろうと思う。

 

だけど。

これがいじめをしてきた人の末路なんだな、って。

自分がしたことが返ってくるって本当なんだな、って。

何故かすっと腹に落ちた。

 

ひでこちゃん自身が、あれ程バカにしていた「母子家庭」になっちゃった。

すごい皮肉だ。

 

いじめっこの末路を知りたいと思っていたわけではなかった。

ひでこちゃんの事なんか、すっかり忘れていた。

私と同じ苦しみをお前も味わえなんて、これっぽっちも思ってなかった。

 

だけど私はひでこちゃんの末路を知ることになった。

それには意味があるんだと思う。

 

いじめをやったらこうなるんだよ。

私はそれを知らされたんだと思った。