ママ友いじめから知った人生で大切なこと
私の体験が少しの希望になることを願って
回想

59.苦しい時に支えてくれた友。幸せに生きる秘訣は人柄だと思う

 

小学5年生の中頃にもなると、日々のストレスが体調に現れるようになっていた。

朝。

学校に行こうと思うだけで、食事がのどを通らなくなる。

 

無理して食べても。

玄関をでたあたりから胃がムカムカし始めて。

100メートル歩いたくらいで全部嘔吐してしまう。

 

学校へ行くのが怖くて。

緊張のあまり胃がひっくり返ってしまうのだ。

 

あの教室へ行かなければならない。

無視されて、悪口を言われて、誰からも仲間にしてもらえず、睨まれたり、蔑まれたりする。

 

両親も私がいじめに遭っていることは知っていた。

だけど。

だからといって学校を休ませる方針の親ではなかった。

 

毎朝、恒例行事のように私は嘔吐していた。

胃の中が空っぽになるまで吐いていた。

 

「すっきりした?もう出るものがないから行けるね!」

そう言って玄関からたたき出され、家に置いてはもらえなかった。

 

共働きで親がいない家に、長時間子ども1人にさせられないのもそうだし。

ここで休んでしまったら、2度と学校へ行けなくなりそうと言えばそうだし。

悪い事をしているのはこちらではないから、胸を張っていけってのもそうだし。

 

どんな状態でも学校へ行け。

それが両親の考えだった。

 

確かに。

胃を空っぽにして学校に行くのは良かったかもしれない。

 

お腹が空いてきて、空腹に耐えるほうに集中できたから。

空腹のほうが切実で、気が紛れたから。

空腹のほうが切実で、それ以外を気にする余裕がなくなったから。

 

そして面倒くさい女子のことなど忘れて、お腹が空いた、何か食べたい、食べたいよぉと思ってる方が、精神衛生上宜しかった。

 

熱があっても、微熱は熱じゃないからと学校へ行かされ。

吐いても、胃が空っぽになればこれ以上でないからOKと学校へ行かされ。

お腹が痛くても、学校のトイレへ行けばいいと学校へ行かされ。

泣いて訴えても、目から汗がでてるんだねといって学校へ行かされ。

足が痛くてたまらなくても、折れてないから問題ないと学校へ行かされ。

 

何があっても学校へ行かせるという両親の元。

私の事を思って敢えてそうしているんだと、無理やり受け止めて。

 

私はどんなに体調が悪くても、学校を休むことはなかった。

(私の親、厳しすぎるよね(笑))

 

だけどきっと。

親も怖かったんじゃないかな。

 

我が子が学校に行けなくなったらどうしよう。

我が子が学校に行かなくなったらどうなっちゃうんだろう。

本当は親だって怖かったんだと思う。

 

純真な心の友人

5年生の何度目かの席替えで、私の隣が特別学級の女の子になった。

「あかねちゃん」という名前で、言葉があまり得意ではなかった。

 

ずっと教室にいるわけではなく、朝の会と帰りの会。

たまに、授業の時も隣の席にやってくる。

 

あかねちゃんは。

突然奇声を発することもあったし、何かぶつぶつ小声でしゃべってるときもあった。

 

だから最初はちょっと怖いと思ってた。

 

だけど様子を見ていると、あかねちゃんはある意味天才だと気が付いた。

付き添いの先生が渡した紙に、次から次へと漢字を書いていく。

まだ習ってない漢字、読み方すら想像がつかない難しい漢字、見たこともない珍しい漢字。

 

書きなぐるようにして、凄い集中力でガシガシ書いていく。

 

あかねちゃんはクラスの一員というよりは、たまにやってくる「お客さん」扱いだった。

コミュニケーションがとりずらいあかねちゃんと、親しくしようとする子はいなかった。

 

クラスで孤立していた私は。

失礼ながら、そんなあかねちゃんに。

仲間意識を「勝手に」抱いていた。

 

席が隣だったので、あかねちゃんが漢字を書いているのをよく見ていた。

するとあかねちゃんが手を止めて、ぶつぶつとわからない言葉で何かを言ってくる。

何を言ってるかわからないんだけど、たぶん漢字の説明をしてると思った。

 

漢字を指さしてるあかねちゃんに、うんうんと頷くと。

あかねちゃんはとても嬉しそうな顔をした。

私は彼女が好きだった

そんな折、学校でバス遠足があった。

バスの席を決める際、またしても。

「好きな子」と2人組になって、が行われて。

案の定私は1人あぶれた。

 

すると先生が。

最近あかねちゃんと仲良さそうだから、隣になってみる?と聞いてきた。

 

特別学級のあかねちゃんは、これまで専属の先生が隣だったそうだ。

だけど今回お試しで、同級生のお友達と隣になるのはどうかと提案がきたらしい。

 

私は自分にそんな大役が務まるか一瞬不安になったけど、あかねちゃんと一緒に遠足へ行くと思ったら楽しみになった。

なので二つ返事でOKした。

 

いつも誰ともペアを組めない私が。

どこかのペアに無理やりねじ込んでもらって迷惑がられる私が。

あかねちゃんとペアで遠足に行くことになった。

 

妙な使命感に燃えて、しおりを念入りに確認したり、荷物も予備まで準備したりしていた。

おやつも分けられるものを選んで、一緒に食べたいと思って用意した。

 

あかねちゃんは言葉が得意ではなかったから、何を言ってるか分からないのがほとんど。

だけど。

それでもなんとかなるものだ。

表情とか、言葉の強弱とか、身振り手振りで。

 

理解するまで時間がかかっても。

なんとなくわかるようになるのが、お互いに嬉しかったと思う。

 

あかねちゃんと遠足を楽しんだ帰りのバスで。

もう少しで学校に到着するという頃。

 

隣に座っていたあかねちゃんが、私の肩をガシッとつかんできた。

 

なにやら顔色が悪い。

そして胸のあたりを押さえて、手をぐるぐるさせている。

口に当てた手を何度も下の方に動かして、何かを伝えようとしていた。

 

そこでピンときた。

あ。それって、もしかして。

 

私も毎朝やっているアレだね!?

わかる、わかるよ!!

 

大急ぎでエチケット袋を取り出して手に持たせた。

 

間一髪。

エチケット袋が間に合ったようで、事なきを得た。

 

どうやらあかねちゃんは、バスに酔ってしまったようだった。

 

程なくして学校へ到着し、エチケット袋の口をぎゅっと握って一番に下車したあかねちゃん。

体調が心配なまま、挨拶もできずに。

その日はそこであかねちゃんとお別れになった。

 

遠足の閉会式も終わって。

あかねちゃん担当の先生が、帰宅しようとリュックを担いでいた私を呼び止めた。

 

「西園寺さん、今日はありがとう。あかねちゃんも楽しかったみたい。最後にバスで嫌な思いさせちゃってたらごめんなさいね。でもすごく助かったわ、ありがとう。」

「いえ、私もあかねちゃんと一緒に遠足に行けて楽しかったです。どうぞお大事にとお伝えください。」

 

先生が言っていた、バスで嫌な思いってのはアレのことかな?

でもね、私も毎朝やってるんで、全然気にならないですよ!と心の中で付け足した。

 

さすがの女子たちも、私とあかねちゃんの仲を引き裂くことはできなかった。

あかねちゃんに悪口を吹き込んでも伝わらないから。

あかねちゃんが言ってたよ、もできないから。

 

私はいつの間にかあかねちゃんが好きになっていた。

純粋で素直で。

目をきらきら輝かせてにっこりしてくれるあかねちゃんが、大好きだった。

出会いに感謝している

6年生になってクラス替えがあっても、あかねちゃんとまた同じクラスになった。

あかねちゃんと一緒に過ごしている間は、クラスの女子の事など忘れていられた。

あかねちゃんは私の「癒し」だったのかもしれない。

 

私があかねちゃんの漢字をみていたら、男子が面白がって覗きにきた。

凄い漢字を書いてるんだよ、と教えたら。

「すっげ!こんな漢字書けるんだ!」と男子も驚いていた。

 

それからというもの、たまに男子が混じり。

女子もチラホラ寄ってくるようになって。

 

あかねちゃんはクラスの「お客さん」ではなくなった。

 

卒業する頃には。

あかねちゃんは「漢字の神さま」と呼ばれ、クラスの半分の子と打ち解けるようになっていた。

 

卒業式の日。

私は特別教室に呼ばれた。

そこにはあかねちゃんと、あかねちゃんのお母さんがいた。

 

あかねちゃんのお母さんが。

「西園寺さん、いつもあかねと仲良くしてくれてありがとう。お友達になってくれてとっても嬉しかった。」

皆には内緒ね、と言って私にそっとハンカチをプレゼントしてくれた。

 

私のほうこそ。

あかねちゃんに友達と思ってもらえて嬉しかった。

あかねちゃんのお母さんの言葉がすごく嬉しかった。

 

それと同時に。

この後は養護学校へ行くというあかねちゃんの進路を聞いて、寂しかった。

もうこの先人生が交わることがないだろう、そう思うとすごく寂しかった。

 

「ありがとうございます。私もあかねちゃんと一緒に過ごせて楽しかったです。」

涙を流したらあかねちゃんが心配すると思って、必死で涙をこらえた。

必死で涙をこらえていたから、それだけ言うのが精一杯だった。

 

あかねちゃんのおかあさんは、優しく微笑んでくれた。

 

元気にしてるかなぁ、幸せに暮らしてるといいなぁ。

今でもそう思う。

私の薄暗い小学校生活のなかで、そう思える相手と出会えたことに感謝している。

 

感謝しているのは私のほうでした。

助けてもらっていたのは私のほうでした。

幸せにしてもらったのは私のほうでした。

どうもありがとう。

 

交換日記の友達

5年生の終わりころ。

疎遠になった「ゆきちゃん」が、私に厚みの無い紙袋を差し出してきた。

 

「これ。うちの母から頼まれた。学校ではみないで、家に帰ったら開けてくれる?」

「うん?わかった。」

 

家に帰って袋を開けてみると、中には1冊のノートが入っていた。

ページを開くと、ゆきちゃんからのメッセージが書いてあった。

 

もしよければ、私と西園寺さんで交換日記をしてみませんか?

きっと楽しいと思うんだ。

どうですか?

ちなみに、これを渡すとき「うちの母から」って言ったのは、他の女子に興味を持たれないようにするためだよ。

もし「交換日記」がOKなら、お返事の日記を書いてね。

この交換日記の交換方法は↓

①朝早く来て、誰もいない間に机に入れて交換する

②廊下に人がいっぱいいて、ごちゃごちゃしている間に交換する

③一緒に遊んだ時に交換する

ノートだってわからないように、この袋にいれてね。

ゆきより

 

私とゆきちゃんは、クラスの女子たちに見張られていた。

仲良くしようとすれば何かしら邪魔が入る。

58.人間不信になりそう。学校では底意地の悪いいじめが横行 そういうわけで。 小学4年生の前半は教室で孤立していて、周囲から要らない子扱いをされていた。 https://mam...

 

ゆきちゃんは、私の悪口を吹き込まれても離れていかないんだ。

それどころか、なんとか内緒で関係を続けようと考えてくれたんだ。

それが本当に本当に嬉しかった。

 

当時は交換日記が流行していて、教室のあちこちでノート交換が行われていた。

ちょっと憧れていた行為だったので、ゆきちゃんの申し出にテンションが上がった。

私は感動をかみしめながらお返事を書いた。

こうして、私とゆきちゃんの「交換日記」がはじまった。

悪口は書かない

初めての交換日記で、何を書いたらいいのかわからない。

なので。

ゆきちゃんが書いてくれたことをお手本にして、そのお返事的な感じで書いていた。

 

何度かやり取りした後。

 

私は自分の置かれた辛い状況について書いてみたくなった。

今日も色々と嫌な思いをした。

それを書いてみたら、ゆきちゃんはどんな反応をするんだろう?

ゆきちゃんはどんな返事をしてくるだろう?

 

一緒になって怒ってくれる?

それはひどいと共感してくれる?

ゆきちゃんなりの言葉で慰めてくれる?

参考になるアドバイスがもらえる?

 

そう思って、その日あった出来事と私の悔しくて悲しい気持ちを書いて渡した。

 

すると。

ゆきちゃんからのお返事は。

 

その件には一切触れずに、自作迷路とかクイズなど楽しい内容盛りだくさんでまとめられていた。

 

私はそれをみて深く反省した。

このノートで誰かを悪く書いたら、他の女子達と同じになってしまう。

せっかくの交換日記なのに悪口ノートになってしまったら、楽しくなくなっちゃう。

 

ゆきちゃんの意図が痛いほど伝わってきた。

私は間違えてしまうところだった。

 

それからは、ゆきちゃんに楽しんでもらえる内容を心掛けた。

 

迷路を書いたり、だまし絵を描いたり、ノートを開くと飛び出すような仕掛けを作ったり。

そんな交換日記を書いていた。

 

悪口を書かない。

悪口を言わない。

それは友達として付き合うために、とても大切なことだと思った。

秘密の約束

その交換日記を使って。

ノートの片方に「招待状」を書き、反対側に「返信欄」を設ける。

そうやって互いの家に遊びに行く日を相談し、約束していた。

 

教室でおしゃべりをするわけにはいかない。

遊ぶ約束をしていると、知られるわけにはいかない。

 

交換日記は大活躍だった。

 

2人で予定を合わせ、秘密の約束をし、また一緒に遊べるようになった。

ゆきちゃん家にあったボードゲームが面白かったから、2人で自作ゲームを作ってみたり。

フェルトでお守りを作ったり。

四葉のクローバーを探してみたり。

 

6年生になって、クラス替えがあって。

ゆきちゃんとは別のクラスになっちゃったけど。

それでも交換日記は続いた。

 

クラスが別になったので、逆にノートの交換はしやすくなった。

 

小学校を卒業するまで交換日記は続いた。

最終的には10冊以上になった。

 

奇数はゆきちゃんの、偶数は私の。

そう決めて、書き終わったノートを半分ずつ分けて保管していた。

 

殺伐とした女子の人間関係の只中で。

この交換日記の存在が私を強くしてくれた。

 

私にも友達がいるんだ。

仲良くしたいと思ってくれてるんだ。

 

交換日記はその証拠のように思えた。

そして折れそうになる私を、いつでもぐいっと支えてくれた。

 

交換日記は今でも持っている。

あの頃の私を支えてくれた、大切な宝物だから。

 

人生を成功に導くのは人柄

ゆきちゃんは習い事を色々していて、勉強もできる子だった。

将来の夢があって、そこに向かって必要な事を学び、準備していた。

 

私はひとまず。

いじめられないようになりたいとか。

そんな目標しかなかったので。

 

純粋にゆきちゃんの夢を応援していた。

そしていつか自分も将来の夢を持てたらいいなと思っていた。

 

だけど。

ゆきちゃんならきっと夢を叶えるだろうな、とも思ってた。

こうやって私と友達になってくれたゆきちゃんだもん。

不平不満や悪口を言わないゆきちゃんだもん。

 

間違いなく夢を叶えて。

自分の望む人生を歩くだろうと、なぜだか確信していた。

だからゆきちゃんを心配した事なんてなかった。

好きを仕事に

ゆきちゃんとは、欠かさず年賀状のやりとりだけはしていた。

志望校に合格しました、というお便りがきて。

目指していた大学に合格しました、というお便りがきて。

 

そしてついに。

子供の頃から夢見ていた憧れの仕事につきました、とお便りがきた。

 

私はそれをみて飛び上がるほど嬉しかったし、そうでしょうとも!とも思った。

ウチのゆきちゃんですからね!と、勝手に誇らしくも思った。

 

その後も、好きな事を仕事にできて充実した日々を送っていると、お便りにはあった。

 

やっぱりそうだよね、って思う。

あれだけいじめの嵐が吹き荒れた小学校のなかで、私に意地悪をしなかったのはゆきちゃんだけだった。

他の子と一緒になって、無視・悪口・仲間外れをしなかったのは。

ゆきちゃんだけだった。

 

不平不満を言わず、悪口を言わない。

誰がボスになるかとか、誰のいう事をきいたら得かとか。

自分が有利になるためにどう立ち回るかとか。

そんな事には一切興味がない人だった。

そんな事には一切労力を割かない人だった。

 

自分の夢や目標にむかって。

真面目に準備して努力していた。

 

だから。

だから成功してるんだよね。

だから人生を謳歌してるんだよね。

夢を叶えながら生きる

その後ゆきちゃんは。

その職場で思いっきり仕事をした後。

そこをあっさりと辞めた。

 

なんと第2の夢ができたそうで、そのために仕事を辞めたそうだ。

 

そして今。

ゆきちゃんは海外にいる。

海外に移住して、グローバルな環境で毎日刺激をうけて楽しく過ごしているそうだ。

 

1度きりの人生なら。

自分の夢や目標に向かって生きてゆきたい。

そうやって充実した人生を送りたい。

 

夢を叶えて生きることは、きっと難しい事じゃないんだと思った。

ゆきちゃんのように。

自分の夢や目標にエネルギーを使う事。

それ以外のマイナスな事、例えばいじめとか人を騙すとか。

そういう事にエネルギーを使わない事。

 

それが大事なんじゃないかな、と思った。

 

昔は学力社会なんていわれて、勉強ができれば人生が上手くいくように思われてた。

でも実際は、いくら勉強ができても困る人は困るし、逆に勉強ができなくても成功している人もいる。

 

能力を高める事、技術を習得することは大切なことだけど。

それ以上に「人柄」が大切なんだと思う。

 

人のせいにしない。

人を傷つけない。

自分自身と正面から向き合う。

自分の思いに集中する。

 

それでこそ夢に向かって歩けるし、夢を実現できるんだと思う。

 

人生は1度きり。

それなら思いきり楽しんで、味わい尽くして、これでもかってほど幸せになればいい。

 

夢を叶えて生きる。

誰もがそうできたら。

誰もがその方法を知っていたら。

きっといじめをしようなんて、思わなくなるよね。