友達作りのため、体と心を鍛えるため、親が休日をゆっくり過ごしたいから、などなど。
理由は色々あって、私は地域の子供会が運営しているスポーツチームに入ることになった。
仮にそれを「バレーボールチーム」だった、としよう。
活動日は休みの日。
日曜日と祭日。
たまに土曜の午後も練習あり。
時間は基本8時~17時までで、途中1時間はお昼ご飯。
休日は朝早くに起きて、お昼に食べるための「おにぎり」を作る。
両親は疲れて寝ているので自分で用意する。
みんなは「ウインナー」「からあげ」「たらこ」「シャケ」など、美味しそうな具が入ってるんだけど。
私の家にそんな小洒落たものはない。
かつおぶし、めんつゆ、ご飯。
この3つをまぜまぜして、おにぎりにする。
親は寝ているので、荷物を持って起こさないようそっと家をでる。
また当時は。
練習中に水を1滴も飲むなと言われていた。
お昼になるか、練習が終わらないと「水」が飲めない。
夏の蒸し暑い冷房もない体育館で水分なしなんて、本当にあり得なかった。
今思えば、よく誰も倒れなかったなって思う。
努力とか、根性とか、気力とか。
そこは「昭和」の真っただ中だった(笑)
心ない行為と心ない仕打ち
バレーボールチームのコーチは、中年よりは歳が上で、おじさんよりもおじいさんに近い年齢だったと思う。
コーチではなく「監督」と呼ぶように言われた。
白髪が混じったスポーツ刈りで、背は低め。
バレーボール経験者だから監督を任されたそうだ。
はじめは皆と同じように一緒に練習していたし、監督の様子も普通だった。
だけど。
どこでどうやって耳に入ったかは知らないが。
私が「再婚家庭」で、しかも「いじめ」にもあっていることが耳に入ったらしい。
その頃から、ゆるやかに監督の態度が変わっていった。
両親よりも更に上の世代。
監督は、離婚も再婚も許されないような時代の人で。
いじめにあうのは、何か問題のある人間という証拠だと思われた。
私のような家庭と、私のような子どもを心底嫌っているのが感じられた。
恥さらしで、この世の汚点だと、本気でそう思っているようだった。
あだ名を付けられる
色々なエピソードがあるなかで、特に印象的だったものをお話ししてみたい。
私が再婚家庭の子だとわかってから。
監督は「お前は整列の時一番端にいけ。そこがお前の位置だ、わかったな。」と言った。
それで済めばよかったんだけど。
監督はそれだけじゃ足りないと思ったようだ。
「お前に『あだな』を付けてやるよ。」
チームの主力選手には、監督から贈られた「あだな」が付いていた。
だから私も、そういう意味で「あだな」を付けてもらえると思って舞い上がった。
ところが。
監督が私につけた「あだな」は。
「誰も使わない底抜けバケツ」だった。
それは。
存在が無駄で。
誰にも必要とされてない。
そういう意味を込めた「あだな」だった。
監督は自分がつけたあだなが気に入ったみたいだった。
「おい!底抜けバケツ!」とよく監督に呼ばれた。
こうして、監督に疎まれる存在だと明確になったことで。
チームのなかでも居心地が悪くなっていった。
ペアのトス練習も、だれも組んでくれなくなった。
私と仲良くなると監督に嫌われる、そんな雰囲気でお喋りにも混ぜてもらえなくなった。
だけど。
それでも休まずバレーボールチームに通っていた。
実はこの頃、両親の夫婦喧嘩が激しくて。
家にいるより体育館にいる方が心穏やかでいられたから。
もちろんそんな状態だったので。
バレーボールチームで何が起きていても、親に相談はしなかった。
バレーボールそのものは楽しかったので、状況は悪かったけどなんとか通い続けていた。
お土産を目の前で捨てる
6年生になると「修学旅行」に行く。
6年生は毎年、監督にお土産を買って渡すのがしきたりだった。
私も修学旅行に行って、監督にお土産を選んだ。
人にお土産を選ぶのは得難い体験だったし、やりくりしながらお小遣いを使うのも嬉しかった。
日頃の扱いがどうであれ。
私は監督に少しでも気に入られたかった。
少しでも存在を認めてもらいたかった。
少しでも私ににっこりして欲しかった。
お菓子類は食べきれないし太る、置物やペナントはいっぱいあるからいらない、と監督が事前に6年生に言っていた。
なのでそれ以外で考えねばならない。
私は和柄の手ぬぐいを選んだ。
年配のコーチが持ってても似合うような柄で、汗を拭いたりハチマキにしたり、タオルや布巾のかわりにもなる。
色々使い勝手がよさそうで、それを選んだ。
修学旅行から戻ってきて監督にお土産を渡した。
喜んでくれるといいな、と思って渡した。
練習していると。
どこからともなく「ビリッ!ビリビリ」という音が聞こえた。
音がする方をみたら、監督が布を手で引き裂いていた。
私が渡したお土産の手ぬぐいだった。
「おい底抜けバケツ!この布不良品だぞ。ちょっと力入れたら切れやがった。」
「・・・。」
「お前は見る目もなければ、センスもないな。買うならもっとましな物かって来いよ。」
「(涙目)」
「ほら、これ。ゴミ箱に捨てとけ。まったく。」
自分が選んでお小遣いを使って買ってきたお土産を、自分の手でゴミ箱に捨てた。
監督に渡した手ぬぐいはビリビリに引き裂かれていて、ゴミくずと化していた。
私が買ったお土産に似たものを買ってきた子が他にもいた。
でも、その子のお土産はその場で開けたり触ったりしなかった。
私の買ってきたお土産だけを開けて。
力任せに引きちぎっていた。
私のお土産など、家に持って帰るのも嫌だったのかな。
さすがにあれは堪えた。
そんなに裕福でもない私にとって、監督に買ったお土産は高価だった。
そして監督を想って選んだものだった。
心を踏みにじられるのはとっても痛い。
それは「再婚家庭の子」だろうが、「いじめ」られてる子だろうが、同じなんだけどな。
えこひいきは当たり前
監督は、他の子と私の扱いに差をつけるようになった。
普通の家の子と、普通じゃない家の子が同じな訳ないだろう、と言わんばかりに。
同じユニフォームを着て、同じ部費を払って、同じスポーツをしている。
はすなんだけど。
細かい所で色々と格差があった。
どんなに早く体育館の入り口について待っていても。
皆が入って、一番最後じゃないと体育館に入れなかったり。
ボール拾いは重要な役だからと任され、いつまでもコートの外でボール拾いをしていてコートに入れなかったり。
お前は元気がありあまってるだろうからモップ掛けしとけと、1人で体育館をモップ掛けしたり。
他の子と同じ扱いをしてもらえない事が多々あった。
アタッカーになれない
私の後からチームに入ってきた、同学年の子がいた。
彼女は入って少ししたら「アタッカー」になれと監督に言われ、アタッカーチームに入った。
その子と私は、身長もほとんど変わらないしバレーボール経験も大差なく似たようなものだった。
どうしてだろうと疑問に思ったし、私もアタッカーをやってみたいと思った。
なので監督に聞いた。
「どうして入ったばかりの彼女がアタッカーになれるのですか?私もアタッカーをやってみたいです。」
素直にそう言った。
すると監督は。
「底抜けバケツより、あいつのほうがジャンプ力があるからだ。」と言った。
おかしい。
そんなはずはない。
一緒に練習してるからわかるけど、私の方が高く飛べる。
「監督。ジャンプなら私も得意です。」
それなら試してみるか、となって。
監督がバスケットゴールに紐をたらし、そこに3回連続でタッチできるかというジャンプ力のテストが行われた。
「3回連続タッチできたら、お前もアタッカーにしてやるよ。それで文句ないな?」
監督は、確かにそう言った。
入ったばかりの子と、交互にジャンプする。
1回目、2回目、3回目。
なんと私は連続3回見事にタッチすることができた。
(やった!これで私もアタッカーの練習チームに入れる!)
入ったばかりの子は、3回目だけタッチできなかった。
すると監督はこの結果をみてこう言った。
「底抜けバケツはフォームが悪いからダメだな。」
そして入ったばかりの子にはこう言った。
「入ったばかりなのに緊張させて悪かったな。お前の実力は分かってるから気にしなくていいぞ。変なテストにつきあわせてすまんな。」
監督は言ったことを守らなかった。
まさか私が、3回連続タッチできると思ってなかったのだろう。
結局アタッカーにはなれなかった。
もちろんこういうことが何度もあって、ほとんど試合にも出してもらえなかった。
扱いに明確な差をつける
夏になると。
監督が部費で、全員にアイスを買ってくれることがあった。
体育館からお店までアイスを買いに行くんだけど、帰りはアイスが溶けないように走らなければならない。
暑いなかアイスを買いに行く役は、いつも決まって私だった。
監督にお金を渡されて、アイスを買いに行く。
お金を無くしたら弁償だ、おつりを間違えたら弁償だ、そういわれているのでドキドキしながら行った。
みんなの顔を思い浮かべて。
どのアイスだったら気に入ってくれるか、どのアイスだったら喜んでくれるか、そう考えて選んでいた。
だけどひとつ決まりがあった。
みんなのアイスは100円なんだけど、私のアイスだけ50円だった。
監督が「お前のアイスは50円な」って、いつも決めていた。
まあ、食べられないよりはいいけど。
50円でいかにお得なアイスを買うかに心を砕いていた。
50円のなかでも大きさ重視で選んだり、当たりくじ付きに賭けてみたりした。
そうやって。
同じ部費を払っているはずなのに、私のアイスはいつも50円で。
買いに行くのもいつも私だった。
今こんな事やってるクラブチームがあったら、絶対問題になるよねって思うけど。
当時はこれくらい、よくある事だったのかもしれない。
色々あったけど、色々ありすぎて。
もはやどれについても大して悩まなくなっていた。
親は夫婦喧嘩でギャーギャーしてるし。
朝は学校へ行く緊張で吐いちゃうし。
お腹が減ってたまらないし。
無視・悪口・仲間外れは終わらないし。
監督には差別されるし。
学校にもバレーチームにも居場所はないし。
相変わらず我が家はお金がないし。
最近「目を付ける」ってのが流行りだして、上級生に待ち伏せされるし。
周りにあわせようとしてもなかなか成果がでないし。
結局。
悩まなきゃいけないことが多すぎると。
悩めなくなるんだなと思った。
次から次へとやってくるトラブルに、いちいち傷ついてる暇もなくて。
トラブルさんに、こんにちは→さようならを繰り返して。
流れ作業のように捌いている状態の毎日だった。
死の床で後悔していた
監督は自分がしていることに何の疑問も持ってなかっただろう。
むしろ、自分がしていることは正しいと。
正義の行いだと思っていただろう。
それくらい、私に対する態度に迷いはなく。
これくらい当然だと、偏見を持って差別し続けていた。
子供会のスポーツチームは6年生までなので。
このバレーボールチームに通うのも小学校卒業までだった。
それ以降は、監督に会うこともなかったし。
バレーボールチーム以外でご縁ができることもなかった。
突然夢に現れた
あれは中学2年の頃だったか。
小学校卒業と同時にバレーボールチームも抜けて。
監督の事などすっかり忘れていた。
顔も名前も思い出せないくらい、気持ちよく忘れていた。
なのに。
ある夜、私の夢の中に突然監督が現れた。
あ、なつかしいな。
これ監督だ。
そう気が付くまで少し時間がかかった。
忘れてたからね。
それで監督が、私の夢の中で。
狭くて薄暗くてじめじめした畳の部屋に寝かされていて、寝返りも打てない状態で。
顔色も悪くて、髪もぼさぼさで。
これまでの人生について色々と思い出しているようだった。
たぶんあれは。
死の床に横たわっている監督。
もうすぐそこまで死がやってきている状態の監督だったんだと思う。
許してくれと涙
そして監督は「涙」を流していた。
ごめんな、許してくれと、涙を流していた。
お前にむごいあだなを付けた。
お前を何度もひどく傷つけた。
それでもお前は笑っていた。
それでもお前はバレーボールにきていた。
それくらいガッツのあるやつだったのに。
お前の事をちゃんと育ててやれば良かった。
俺は間違えてしまった。
あんな目にあわせるんじゃなかった。
俺はなんてひどいことをしてしまったんだろう。
そう心の中で言って、監督は涙を流していた。
その夢はとってもリアルで生々しくて。
監督がどれほど後悔しているのかが、痛いほど伝わってきた。
私は思わず「監督、もう済んだことです。気にしないでください。私も忘れてましたから。」と夢の中で思った。
そこで夢は途切れた。
これは私が見た、ただの夢で。
実際にそうだったかどうかはわからない。
それを確かめる術もない。
だけど。
朝、起きてから思った。
多分あれは本当だったんじゃないかな。
監督は、あの頃の自分がしたことを後悔したんじゃないかな。
そう思った。
きっと。
自分がしてきたことを、見つめなきゃいけない日がくるものなんだと思う。
人生ってそういうふうにできてるんだろうな、と。
そう思った。