小学4年生の半ばから本格的に始まった「いじめ」。
それは5年生になっても6年生になっても、クラス替えがあっても続いた。
もちろん担任の先生にも相談していた。
先生はこう言っていた。
「郷に入れば郷に従え」
「いじめられるのは、お前にも問題があるからだ」
「まわりに合わせる努力をしなさい」
「火の無い所に煙は立たない」
「喧嘩両成敗」
「子どもは純粋だからいじめなんてするわけない」
「あなたの受け止め方が異常なのでは?」
今ならこんな指導、しないよね。
いじめをやる側が心に問題を抱えてるのであって、いじめられる側に非があるわけではない。
今の学校ではそう認識されている。
でも当時は。
いじめられる側にも問題があるから、そうなるんだと言われた。
喧嘩両成敗なんてすごく不公平だと思った。
すでにいじめにあって成敗されちゃってるのに、両成敗だからって先生から更に成敗されちゃうの。
私の方がダメージ2重じゃん!
不公平だって思ってた。
火のない所に煙はたたない、も嫌だった。
火がなくたって煙は立つ。
立てたい奴が勝手にたてるんだから。
子供は純粋??
先生、何もみえてないね。
あ、見たくないだけの話かな?
だけど。
なんとかいじめから逃れたくて。
アドバイスにおかしいなと思う部分があっても。
素直に先生の話を受け止め、できるだけその通りにしようと日々模索していた。
それで、色々な事を試していた。
少しでも好かれたくて
先生に指摘されたなかで気になったのは。
私が「目立つ」ということ。
私はこの「目立つ」が今ひとつわからなかった。
だって目立ちたいなんて思ってなかったから、何が目立っているのかピンとこない。
色々考えているうちに、思い出した。
前の小学校で「ガイジン、ガイジン!」と男子に言われていたことを。
私は色素が薄いタイプで、肌が白く髪と目が栗色だった。
普通に日本人なんだけど、なんか色味が薄い子だった。
それで外人と言われていたわけだが。
もしかして、そこかな?
見た目?
特に何をしたわけでもない、持って生まれたこの見た目が。
「目立つ」って事なの?
目立たない努力
そこで、見た目を何とかしてみようと試みた。
目の色は正直どうにもならないから、肌と髪をどうにかしようと考えた。
肌が白いのが良くないのなら、日焼けすればいい。
それでできるだけ日に当たることを心掛けた。
あとは、できるだけ顔も洗わないことにした。
そのほうが黒くなれる気がして。
それに加えて髪を切った。
栗色なのが目立たないように、ベリーショートにした。
子ザルのようになったけど。
長さがないぶん髪の色は気にならないんじゃないかな。
髪を切って学校へ行ったら。
私をみて女子が陰でクスクス笑っていた。
失敗しちゃったかな?と思ったけど。
「西園寺さ~ん、いいじゃんそれ。似合ってるよぉ。」と言ってきた。
お、好感触。
髪を切って良かったと思ったのも束の間。
教室内の別の女子グループでは。
「何あれ、サルみたい。」と言われていた。
あちらを立てればこちらが立たず。
結局この作戦は大して効果がなかった。
クスクス笑ってた女子が、ちょっとだけ優しくなった程度だった。
指摘されるままに変えていく
そこで今度は、服装について考えてみた。
私の母は若かったし、お仕事もしてるからお洒落に敏感だった。
それで私にも、カワイイ服を買ってくれていた。
今まで一緒に暮らせなかった分の思いが、「カワイイ服を着せる」にいった感じだった。
だからこのお洒落でカワイイ服も「目立つ」になるかも、と思った。
母には。
次に買う時から近所の子が着てるような無地とか暗めの色の服にして、と頼んだ。
無地のTシャツに短パン、髪はベリーショート。
できあがったのは男子のようなボーイッシュなワタシ。
それで学校へいってみると。
髪を切った時と同様。
にやにやしながら「いいじゃん」と言う子と、「ださい。」「貧乏くさい。」と言う子がいて。
結局みんなから「合格」をもらえなかった。
AにすればBと言われ、BにすればC。
CにすればAだ、というように。
全員が納得するように自分を変えることは難しかった。
「目立つ」に対しての明確な基準などなく、手探りだった。
なんとなくとか、個人的な感覚に合わせようとするのはかなり無理がある。
ださいと言われれば、ださくない服を選んで着る。
すると今度は目立つと言われて。
目立つと言われたので、目立たない服を選んで着る。
目立たない服を着ると、今度はださいと言われる。
この繰り返しで。
それに疲れた私は、「女子のボスと似たような恰好をしたら文句がないのでは?」と思いついた。
それならきっと文句を言われないだろう。
そしてボスに似た服装で学校へ行くと。
「おい、私のマネすんじゃねぇよ!」とキレられた。
少しでも好かれたくて、みんなの望む自分になろうとしたけど。
迷走するばかりで成果がなかった。
最後は何を着れば正解なのかわからなくて、服を選ぶのが苦痛になっただけだった。
話についていけるように
郷に入れば郷に従え、周りと打ち解ける努力をしろ。
そう言われていたので、みんなの話題についていけるよう努力してみた。
私の家ではTVと漫画本が禁止だった。
だけど皆は昨日のドラマの話とかをしている。
私はTVを観れないので、話についていけない。
そこでラジオを買ってもらった。
ラジオでTVを聞くのだ。
周波数を合わせれば、TVの音声が聞こえる。
観れないならせめて聞くだけでも。
そしてラジオから流れてくる音声だけで、ドラマの内容を一生懸命把握しようとした。
たまに間違って解釈してた部分もあったけど、おおむね話の筋は捉えられた。
ドラマが分かるようになったので、お喋りに混じろうとした。
「あ、昨日のドラマね。面白かったよね!」
「・・・。」
少しの間混じることはできても、すぐにジト目でシラっとされてしまう。
私と話をしたくないと思ってる相手に話題を合わせてみても。
結局うざがられるだけだった。
非難と陰口が怖かった
ある時、私のノートをみた女子がこう言った。
「うわ。西園寺さんの字、かわいくない。」
当時は女子の間で「丸文字」というのが流行っていた。
文字の角に丸みをもたせて、柔らかく可愛い感じにした「文字」。
それを書くのが女子の流行だった。
字が可愛くない、と言われてしまったので。
私は必死に丸文字を練習した。
丸文字をマスターして、それを使っていたら。
今度は「色が無くて地味」と言われた。
なぬ?!
どうやら今度は、丸文字にペンで装飾するのが流行っているらしかった。
そこでペンで可愛く文字を装飾する術を身につけた。
ところが今度は。
「もともとの字が汚いからダメ」とか「センスがない」と言われた。
合わせよう、好かれよう、言われたとおりにしよう。
そう努力しても、結局批判されてしまう。
最後はノートを誰にも見せないようにする。
見られないようにノートを使おうと心掛けた。
だってもう、疲れちゃったから。
女子からの非難と陰口が怖かった。
少しでも好かれたいのに。
少しでも仲間になりたいのに。
少しでも嫌われたくないのに。
何をどうすれば受け入れてもらえるか、全く分からなくなって。
ただただ女子が怖いと、そう思うようになっていった。
相手の望むことを言う
トイレに入っていたら。
タイミングが良いのか悪いのか、私の悪口が聞こえた。
「西園寺ってさ、謝らないよね。ごめんなさいが言えないとか最低。」
トイレの個室の中で、ドキッとした。
そうなの?私ごめんなさいって言えてなかった?
それで「ごめんね」「ごめんなさい」を逐一言うように心がけた。
そしたら今度は。
「謝りすぎでしつこい。」と言われた。
謝らないのもだめで、謝るのもだめ?
そしたら「ありがとう」だったらいいのかな?
ありがとうを心掛けてみたら、今度は。
「気持ち悪い。」と言われた。
それで、もしかしたら。
私が相手の望む受け答えができてない。
そういうことかな?って思った。
なので、相手の様子をよくみて「ごめんね」「ありがとう」を言うようにした。
それに加えて「今日の服お洒落だね」とか「いつも髪がサラサラだね」など、相手が日頃気にかけているであろうポイントを褒めたりした。
そしたら。
その場で嫌な顔をされることはなくなったものの。
「あいつ最近、媚売ってくるよね。」と言われた。
色々試して、最終的には。
挨拶をすれば「なに今の挨拶、むかつく」と言われ。
目があえばそれだけで「あいつ睨みやがった」と言われた。
にぶい私も。
ようやくそこまできてわかった。
そもそも私を嫌いだと思っている人に、どんなに合わせようとしても無駄なんだと。
「嫌い」フィルターがかかってるから、何をしても「悪く」みえている。
「嫌い」フィルターがかかってるから、何をしても「良く」みてくれない。
相手が「嫌い」を取り下げてくれるその日まで。
努力しても気に入られることはないんだと、ようやく気が付いた。
自分を無駄にする努力は悲しい
批判と陰口が怖くて。
少しでも好かれたくて。
皆と仲良くなりたくて。
女子の言葉を真に受けて言う通りにして。
女子の言葉を真に受けて自分を変えた。
だけど結局、いくら相手に合わせても満足してもらえなかった。
その行為は、自分自身をいびつに削り取っていくようなものだった。
良い所をどんどん削いで。
自分らしさをどんどん削いで。
そうやって集団に溶け込もうとしても。
ほんの少しだけ。
ほんの一瞬だけ。
態度がちょっぴり軟化するけど、またすぐに元通りになった。
色々試してみて思ったのは。
これらは全部、自分を無駄にする努力だったということ。
そして、自分を無駄にする努力はとても空しくて悲しいものだった。
自分の望む自分で良い
結局、何をどう変えても気に入ってもらえないのなら。
はじめから合わせようなんて、しなくてもよかった。
まわりに合わせようが合わせまいが同じことだった。
だってそもそも受け入れる気がないからね。
それなら思う存分尖れば良かった。
自分らしく思いのままに振舞えば良かった。
そして思った。
この世に「誰からも好かれる人」っているのかなと。
答えは「いない」だった。
どんなに大人気の芸能人でも、必ずアンチはいる。
100人いたら100人全員に好かれる人なんていないのだ。
皆それぞれに自分の趣味嗜好があって、100人とも同じなんてことあり得ないのだ。
誰からも好かれるなんて幻想。
そんな人間、この世にいない。
どんなに愛されているアイドルにだって、「嫌い」って人はいっぱいいるのだ。
そしてそのアイドルが。
どんなに愛想を振りまいても、人気が上がっても、実力をつけても。
その気持ちを変えるつもりがない相手からは「嫌い」と思われ続けるだろう。
そう思ったら、私が嫌われているのも。
そこまでおかしなことじゃないと思えた。
好かれようとして上手くいかなくても「そりゃそうだ」と思えた。
大人気スターであっても。
「ファンです!大好きです!」って人もいれば、「きらい」って人もいる。
より魅力を向上させても、それでも嫌う人がいる。
それが普通。
それが当たり前。
そして、そういうことなら。
みんなに受け入れてもらおうなんて、必要なかったなと思った。
ただ、今、この場において。
私を嫌う人が目についているだけ、かもしれないなと思った。
そう思ったら視界が開けた気がした。
私は私のままでよかったんだと。
嫌われてたって、外されてたって、私のままでよかったんだと。
そのままの私を「好き」と思ってくれる人を探せば良かった。
そのままの私を「好き」と思ってくれる人にもっと目を向ければよかった。
誰かの望む自分になろうと足掻くより。
自分が好む自分でいれば良かったんだと気が付いた。
周りがどうであれ、自分の望む自分でいる。
そうすれば自信を失わずにいられたし、マリオネットのように操られ、右往左往することもなかった。
自分に自信を持って、自分らしくいられたら。
そんな私を素敵だと思う人が、もっといっぱい現れただろう。
「嫌い」の本当の理由
周囲に合わせる作戦の中で、一番効果があったと感じたものを書いておこうと思う。
驚かないでね。
私を嫌う女子たちに一番効果があった「作戦」。
それは。
「人前で鼻をかむこと」だった。
風邪をひいていた時。
それはひどい鼻かぜで、鼻水がいっぱいでちゃうやつだった。
どうしても我慢できなくって。
トイレに行ってきますと言って席を立ってもよかったけど、そうする暇もないほど鼻水が垂れてきた。
それで、また嫌われちゃうと気にしながらも教室の中で鼻をかんだ。
ぶびーーっと盛大にかんだ。
そしたら、それを男子が「げっ」って顔でみた。
その男子の様子をみて一部の女子が華やいだ、感じがした。
あれ?って思った。
もしかして、私が教室で鼻をかんで、男子に嫌がられて、それを喜んでる女子がいる?
そう感じたので。
しばらく教室で、みんなのいる前で鼻をかんでみた。
2週間くらい試してみた。
すると、ボスクラスの女子たちの態度が少し軟化した。
今までほど当りがきつくなくなった。
それでやっとわかった。
そういう事だったのかと。
私は、男子に嫌われればよかったんだと。
そしたら女子に好いてもらえるんだったんだ?
へぇ。
やっとわかった。
これって「嫉妬」だったんだね、って思った。
言葉と意味は知っていても、こういうものだとリアルに体験するまで理解できていなかった。
私に都合の良いフィルターで説明すれば。
美少女転校生がやってきて、意中の彼の心が奪われそうで、それが怖くて「再婚」とか「性格が悪い」とか言っていじめてた。
意中の彼が私に惹かれてしまわないように、あれこれ手を尽くしていたわけか。
で、私が人前で鼻をかんで。
わかりやすく男子の評価が下がったことで安心した、と?
わかりにくいし、まわりいくどい。
そしてくだらない。
でもそう思った反面、うらやましいとも思った。
だって、そんなことに時間をかける余裕があるんだもの。
生きるのに精いっぱいじゃなくて、余裕があるからできるんだもの。
余裕があるから、こんな手の込んだことやってられる。
暇そうでいいなぁと思った。
嫉妬されてると思えばいい
でもって。
「嫉妬」されてたんだな、って思うのはとても良かった。
事実かどうかはどうでもいい。
女子とうまくいかなくて、心が折れそうな時はとっても良い。
「この私に嫉妬してるのね!ホーッホッホ!」
そう思えば元気でいられる。
俯かないでいられる。
だからお勧め!(笑)
そうやって、心の中で「嫉妬してるんだわ!」と思っておけば、悪い気はしない。
「嫉妬してるんだわ!」と思っておけば、相手を憎まずに済む。
というわけで。
私は「人前で鼻をかむ」作戦を続けた。
6年生の半ば頃には、女子の目も大分穏やかになった。
卒業まで人前で鼻をかみ続けた。
これは私なりの気遣いだ。
こんなことで女子たちの気が収まるなら、お安い御用だ。
男子に興味なかったから、男子の好意など私には不要。
ためらいなく鼻をかめるってもんよ。
気配りのできる私、偉い(笑)