学校の女子と上手く付き合えるよう試行錯誤していた頃。
まるでうまくいってない私を、母もみていた。
相変わらず。
朝は緊張で胃がひっくり返ってしまっていて。
そんな私をみかねたのだろう。
母なりのいじめ対策を考えてくれた。
母は学校の先生のように「お前にも問題がある」とは決して言わなかった。
むしろそれよりは、いじめに遭っていてもやっていけるようにという方向で考えていた。
恐らく母もわかっていたのだ。
いじめの根本的な原因は「相手の心の内」にあることを。
そしてそれは、いじめをやっている本人にしか触れない領域で。
他人がどうすることもできない部分だ。
だからこそ、自分自身を変える。
いじめの最中でも生きていける自分になる。
いじめの最中でも折れない自分になる。
いじめの最中でも心穏やかな自分でいる。
そういう方法を、母は考えてくれた。
そしてこの対策が効果的だったな、と思う。
どんなことを試したのか、お話ししてみたい。
一芸に秀でてみよう
あの当時は「学歴社会」なんて言われていて。
勉強ができれば、人生は上手くいくものだと思われていた。
勉強ができれば、良い高校→良い大学→良い会社→良い収入。
といった感じで、勉強さえできれば人生は安泰で間違いなく将来有望だと思われた。
だからこそ、勉強ができる子は一目置かれたし、いじめにもあいにくかった。
今は「勉強ができる」以外にも。
「何かの競技」が凄くできる、「ゲーム」が凄くできる、「お料理」が凄くできる、「イラスト」が凄くできる、など。
勉強以外の「凄くできる」にも価値があり、人に認められる世のなかになってきている。
なので、この「一芸に秀でる」という作戦は。
当時に限らず今でも、とても有効だと思う。
何故なら。
何かに秀でているということは、人に認められるきっかけになるし、自分に自信が持てるようになるからだ。
得意なことを伸ばす
当時の私は。
「図工」「家庭科」が得意だった。
いじめられっ子にだって、得意なことの1つや2つあるものだ。
図工ではよく作品展に出品してもらい、賞状をもらっていた。
構図にこだわったり、色味を変えてみたり。
自分の好きを追及したので我が道を行ったし、それが評価される世界だったのが私に合っていた。
いじめにあっている私でも、全校朝会で校長先生に名前を呼ばれ賞状をもらえる。
時には作品が校内に展示されることもあった。
私を否定する世界もあれば、私を称賛してくれる世界もある。
私は皆が言うほどダメじゃない。
そう思うことで、自分を支えることができた。
家庭科も好きだった。
家に親がいないので家事をそこそこやっていたのもあって。
裁縫や料理は皆よりよくできた。
特に裁縫は「図工」に通じる部分があり、自分で物を作り出せるのが良かった。
家が裕福ではなかったので、欲しいものはなかなか買えなかった。
みんなが筆箱を買い替えたり、巾着やポーチを何種類も持っているのがうらやましかった。
そんな時に「家庭科」は素晴らしかった。
そう、お裁縫をして自分で作ればいい!
母のミシンを使わせてもらった。
忙しい合間を縫って、私にミシンの使い方をを色々と教えてくれた。
失敗しながらも、「こんなものが欲しい」を形にする作業は楽しかった。
私はあっという間にお裁縫が得意になった。
筆入れやら、巾着やら、ティッシュケースやら。
色々な布小物を作った。
ファスナーをつけたり、レースをつけたり、刺繍をしたり。
そうやって自分が欲しかったものに近づけた。
そうすることで、あっという間に家庭科で求められるレベルを超越してしまったようだ。
家庭科で作った作品は、ほぼすべて家庭科室の「展示コーナー」に飾られた。
なかには、卒業後も展示したいから材料を渡すのでもう1つ、見本用に作って欲しいと言われたこともある。
受験に関係ない科目でも、自分の得意な教科があるのは素晴らしいことだ。
得意な部分を伸ばせば、そこにちゃんと自分の価値を見出せる。
評価されると頑張れる
受験に必要な科目じゃなくても、自分が頑張ればちゃんと評価されるんだ。
学校は頑張ったことをちゃんと評価してくれる場所なんだ、とわかったら。
他の科目に対しても取り組む姿勢がかわった。
興味を感じたところや、好きだなと思ったことには特に前向きに取り組むようになった。
そんななかで開花したのが、「作文」と「陸上」だった。
「作文」は自分の体験を書くという課題だった。
体験を文章にする。
そこもやはり「図工」と通じるものがあった。
人に知ってもらう、人に何かを感じてもらう。
文章で表現をするというその作業が自分に合っていた。
ノリノリで書いた体験談が評価され、市のコンクールに出され、表彰された。
図工以外では初めての経験だったのでとても嬉しかったし、とても誇らしかった。
「体育」は、すばしっこかったので得意な方だったが、チームワークが必要な単元は評価されなかった。
そのかわり、個人の力が発揮できる単元は得意だった。
それが私にとって「陸上」だった。
走る、飛ぶ、あ。
投げるは不得意。
腕力がなかったので(笑)
そういうわけで、学校代表で陸上競技会にでるようになった。
「高跳び」と「幅跳び」を担当し、リレーは補欠で入っていた。
こんな私でも活躍できる場があるんだと、心から感じる事ができた。
得意を伸ばすことは、自分を伸ばすことに等しかった。
得意を伸ばすことで、自分自身に集中できた。
得意を伸ばすことで、より自分を知ることができた。
得意なことは自分を助けてくれる。
ちゃんと評価されるとわかれば、頑張ろうと気力が湧く。
心に生きる力が宿る。
それが私にはありがたいことだったし、必要なことだった。
趣味の世界に住む
母は私に「教室で本を読みなさい」と言った。
母も本が大好きで、すごい読書家だった。
本を読めば、その本の世界を体験できる。
本を読めば、別の世界へ行ける。
本を読めば、色々な感情を味わうことができる。
自分を深めることができるし、何より教室の雑音が聞こえなくなるから。
やってごらん、母はそう言った。
正直、読書はぜんぜん好きではなかった。
文字を追うのが退屈で面倒だと思っていた。
だけど、その「雑音が聞こえなくなる」というのに魅力を感じた。
女子たちの視線や悪口を感じなくなるなら、試してみる価値があるな。
そう思った。
物事の捉え方を増やす
はじめは母にお勧めされた「伝記」をメインで読んでいた。
確かに。
読んでみると、母が伝記を勧めた理由がわかった。
伝記になるような人は、いじめられていたり変人扱いされていたり、人から弾かれている人が多い。
周囲に理解されない人が、本当に多い。
いじめの真っただ中でそれを読むと。
あ、もしかして私も伝記になっちゃうタイプかもねー、なんて思えた。
ポジティブ大事(笑)
だけどこういう事だと思う。
見かたを変えれば。
いじめられてるダメな奴とも受け取れるし。
いじめられてるすごい奴とも受け取れる。
本を読むことは、自分の物の見かた・捉え方を増やしてくれた。
色々な考え方があるんだと知ることができた。
だから心情的に追い詰められることが減った。
何かあっても。
Aともいえるし、Bともいえるね。
と思えば、悪い評価が全てではないと理解できるようになる。
誰かからの評価が全てではないとわかれば。
立場や見かたが変れば、評価も変わるんだとわかれば。
「あなたは」そう思うんですね。
それだけで済む。
もう誰かからの言葉に、追い詰められなくて済むのだ。
1人が好きになる
伝記の次にやってきたのは、「物語」フェスだった。
物語は私の読書観を変えてくれた。
勉強や知識としてではない、文章の世界。
娯楽としての文章の世界を私に教えてくれた。
次から次へと読み終わってしまう私に、どんどん本が手渡される。
物語フェスティバルが始まった。
もちろん本を買うお金はないので、図書館で母が借りたやつね。
職場の近くの大きな図書館で借りてるらしく、この辺にない珍しいものも多かった。
私が特に気に入った本は、母が保存用兼・愛蔵用兼・常設用として購入してくれた。
物語を読むのは楽しかった。
自分が別人になれる。
別の世界に行ける。
そこで臨場感のある様々な感情を味わい体験する。
テレビと漫画本が禁止されている私にとって、それはこの上ない娯楽だった。
続きが気になるので、家でも学校でも本を読む。
すると、本の世界にいる間は本当に周囲の雑音が気にならなかった。
集中していないと話に入れなくて面白くないから、自然と本に集中する。
誰かに話しかけれれても気が付かないくらい。
むしろ「今いいところだから邪魔しないでぇ」くらいのレベルになり、1人が苦ではなくなった。
そして学校で1人になる時間が待ち遠しくなった。
趣味の世界は良い。
自分の世界ができれば1人でいることも楽しくなる。
自分の世界ができればこの世の中が楽しいと思える。
自分の世界ができれば更に広い趣味の世界とつながる事ができる。
ある時。
私を仲間外れにしている女子が、読書をしている私を逆手にとってこう言った。
「先生、別に私達が仲間外れにしてるんじゃありません。西園寺さんが本を読んでるから邪魔しない方が良いと思って。それで声をかけないだけなんです。」
相変わらずだな、と思いつつ。
この前読んだ本に出てきた、悪役に似てるなって思ったら。
なんだかそんな女子もお茶目に思えた。
趣味の世界、グッジョブでしょ?!
学校に居場所が無くても
母が私に必要だと思ったのは、学校以外・地域以外で友達を作る事だったようだ。
休みの日にバレーボールに行く以外習い事をしていなかった。
子供会主催なので、バレーボールも同じ小学校の子達で活動している。
そこであえて。
学区外の「学習塾」と「水泳教室」に行くことになった。
学区外なので、塾も水泳教室もちょっと遠かった。
だけど。
そのちょっと遠い塾と水泳教室では、仲の良い友人ができた。
比較的家の近い子とも仲良くなって、家まで迎えに行ったり、一緒に帰ったりするようにもなった。
塾も水泳もちょっと遠かったけど。
それが苦じゃなくなった。
だって楽しみだから。
友達に会えるのが楽しみだから。
学校外に友達がいる意味
学校では友達がいない、嫌われ者の私でも。
学校以外のところでは友達ができることがわかった。
自分に非があって友人ができないわけじゃなかった。
自分に足りない所があるから友人ができないわけじゃなかった。
ただ。
ただその地域が自分に合わなかっただけなんだ。
そう思えた。
そう思うようになったら、朝の嘔吐がなくなった。
朝、今までのように極度の緊張をしなくなった。
学校に行けば、いつものように無視・悪口・仲間外れが待っている。
だけど平気。
私にはちゃんと友達がいるから。
私といる事を楽しいと思ってくれる人がいるから。
学生をやっていると。
学校という閉じられた世界が自分のすべてのように感じてしまう。
学校で嫌われたら、世界中に嫌われたように思うし。
学校でうまくいかなかったら、どこに行ってもうまくいかないように思える。
だけど実際は違う。
この世の全てが、自分を否定しているわけではない。
他の場所では、自分を受け入れてくれる世界がある。
学校以外で友人ができたのは、私にとって大きな救いであり発見だった。
学校以外の世界を1つでも2つでも持っているのは、自分の見識を深める意味でもとても良いと思う。
そしてまた。
学校以外の友人は特別だった。
学校の皆が感知できない範囲にある友人の輪は。
私のメインの活動場所であり、不可侵の避難場所にもなった。
学校でうまくいかなくても大丈夫。
趣味でもスポーツでも、何でもいい。
学校外のコミュニティに参加することを試してみて欲しい。
自分に合うコミュニティを探してみて欲しい。
自分に自信を持てるようになるのが大事
得意を伸ばす。
趣味の世界を知る。
学校外のコミュニティを持つ。
これらは全て自分の自信につながった。
いじめにあって。
まわりから否定されていても。
疎まれていても。
蔑まれていても。
自分で自分の価値を知ることができれば、自信を持つことができる。
学校だけが世界じゃない。
世界はいくらでもあって、とっても広い。
自分に自信をつけることによって。
いくらでもこの閉塞したいじめ社会から抜け出せるんだ、ってわかった。
体は今そこにあっても、心はいくらでも抜け出せる。
心のなかでは、いくらでも目の前の女子たちとサヨナラできる。
だからもう。
学校にも教室にも行きたくはないけど、今までよりは怖くなくなった。
自分に自信を持つ。
自分の価値を知る。
自分の世界を持つ。
自分を好きでいる。
自分を大切に思う。
それらの感情は人から与えられるもののようにみえて、実はそうではなかった。
それらの感情は誰かからもらうもののようにみえて、実はそうではなかった。
自分で気が付くものだった。
自分の中にあったんだと、気が付くものだった。
人に目を向けるんじゃなくて、自分の内面に目を向ける。
私に必要なのはそれだった。
いじめられてて、嫌な思いをしても。
それでも何とかやっていける。
少しずつ、そう思い始めていた。