6年生の半ば頃になると。
これまで試行錯誤してきたいじめ対策が少しずつ功を奏してきたのか、それとも女子たちが飽きてきたのかは分からないが。
4年生の半ばから本格的に始まった「いじめ」もだいぶ軽くなってきた。
集団での統率のとれた無視や、次から次へと湧くように出てくる悪口、1人の友人も作らせない程の仲間外れは、鳴りを潜めだいぶ緩くなった。
学校に行くのは全く楽しくなかったが、今までよりは楽になった。
そんななかでも。
「迷惑な噂話」だけは細く長く続いていて、いつまで経っても消えなかった。
1つ消える頃、次の噂が始まる。
そんな感じで。
「この前A君が玄関で西園寺さんの靴を拾ってあげたのね。そしたら西園寺さんA君のこと好きになっちゃったんだって。」
靴を拾ってくれたのは事実。
だけど好きとは言ってないし、そんな気持ちになっていない。
この噂話のおかげで、私はまた女子に睨まれた。
「西園寺さんが掃除の時間に、つまずいた振りしてB君に抱きついてたんだよ。西園寺さんて、そうやって男子との距離を縮めるんだってさ。」
確かにつまずいた。
でも抱きついてはいない、ぶつかった程度。
そして男子とどうこうなろうという気はない。
この噂話によって、また更に女子から敵認定された。
こんなふうに、男子絡みの噂が多かった。
少しだけ本当の事を含んだ嘘の噂話は。
微妙にリアリティがあり、聞く人の心に悪印象を植え付けた。
私はこの「迷惑な噂話」に困っていた。
誰かが。
ずっと。
こっそり。
噂を流している。
私の評判が悪くなり、ダメージになるような噂を流している。
それが誰だかわからない。
今までのいじめは、ボスがいて主犯がすぐにわかった。
誰がやっているのか、すぐにわかった。
でも今回は、誰だかさっぱりわからない。
正体不明。
謎の犯人。
誰がやってるのかわからなければ、対策がたてられない。
いじめは色々あるけれど、本当に性質が悪いのは陰に隠れてコソコソやる場合だと思った。
見つからなければいいとばかりに、ネチネチと陰湿でしつこい。
しかも実態がつかめないから、何をどうしたら良いのかさえわからない。
一体誰が、こんなにしつこく噂を流しているんだろう。
私は噂話に困りながら。
疑心暗鬼になりながら。
とぼとぼと途方に暮れつつ学校に通っていた。
いたずらか遊びかいじめか
家が近くて、同じバレーボールチームに所属していた友人がいた。
クラスは別だったものの、家が近いので休みの日は一緒にバレーボールに通っていた。
「みきちゃん」と「カワちゃん」といった。
みきちゃんは小柄で細身な子。
カワちゃん家の隣に住んでいた。
カワちゃんは、河合という苗字の「河」からとって「カワ」ちゃん。
体が大きめでがっしりした感じの子だった。
3人で待ち合わせをして、週に1回一緒にバレーボールに通う間柄だった。
みきちゃんとカワちゃんは幼馴染で、とても仲が良かった。
靴を隠される
6年生の半ば頃。
いじめが落ち着いてきたから?
なのかはわからないけど。
みきちゃんとカワちゃんから、「今日一緒に帰ろう」と誘われた。
これまで誘ってくれたことがなかったので、とても嬉しくなってOKした。
帰りの会が終わったら下駄箱のところで待っててね、と言われた。
ところが。
下駄箱で待っていても。
いつまで経ってもみきちゃんとカワちゃんがやって来ない。
靴はまだあるから、きっと学校にはいるんだと思う。
どんどん帰る人が減って。
学校には殆ど生徒がいなくなった。
おかしいなと思って、下駄箱から離れて6年生の教室へ移動した。
もしかしたら、みきちゃんとカワちゃんに何かあったのかも?
そう思って。
だけど、教室の方にもみきちゃんとカワちゃんはいなかった。
下駄箱に戻ると。
みきちゃんとカワちゃんの靴はすでになくなっていて、上履きになっていた。
私が教室を見に行っている間に帰ってしまったらしい。
追いかけなきゃ!と思って自分の下駄箱をみると。
なんと靴がなくなっていた。
ぎょっとして。
軽くパニックだった。
靴がない、どうしよう。
すると、校舎の陰から「・・・クスクスッ」という小さい笑い声がする。
私が振り返ると人影がさっと隠れた。
もしかして、みきちゃんとカワちゃん?
近づいてみると、それはやっぱりみきちゃんとカワちゃんで。
手には私の靴を持っていた。
「ごめんごめん、ちょっとドッキリさせようと思って。」
「ちょっとしたイタズラだよ、えへへ」
2人はそう言った。
だからそこで怒ることはできなかった。
かなり待ったし、心配したし、靴はなくなるし。
本当に驚いた。
だけど、ちょっとした「イタズラ」だと2人が言うなら。
「もう、本当にびっくりしたんだから!もうやめてね。」
としか言えなかった。
先生の前では
ところがこれだけでは終わらなかった。
これ以降、頻繁に「一緒に帰ろう」と誘われるようになって。
2回に1回は「いたずら」とやらが行われた。
色々なパターンがあった。
下駄箱に行くとすでに私の靴がなくなってたり。
約束しておきながら、待ちぼうけしている私をニヤニヤ観察していたり。
私の靴が全然知らない人の下駄箱に入れられてたり。
靴がゴミ箱の中に入っているときもあった。
普通に一緒に帰ってくれる場合もあるから、意地悪なのかイタズラなのか遊びなのか。
私自身も区別がつかなかった。
ただいつも。
みきちゃんとカワちゃんはケラケラ笑ってた。
それは私をみて笑っているので、あまり気分の良いものではなかった。
ある時。
カワちゃんが私の靴を片方持って隠れていた。
もういい加減こんなイタズラ(?)には付き合いたくなかったので、返してと言った。
するとカワちゃんは、私の靴を持ったままケラケラ笑って走り出した。
学校の校内を、カワちゃんが笑い声を響かせながら走る。
少し走って追いかけて、カワちゃんに追いつき靴を奪い返そうとしたら。
その靴をカワちゃんが投げた。
私の後方にいたみきちゃんに投げた。
今度はみきちゃんが靴をもって、ケタケタ笑いながら走る。
その途中で、偶然先生とすれ違った。
「こら、廊下で走ってはいけません。」
「は、はぁい。」
私はチャンスだと思って、先生に訴えた。
「先生、みきちゃんとカワちゃんが靴を隠すんです。一緒に帰ろうと誘うのに私の靴を隠すので困っています。」
そう言ったら。
「先生、違うんですよ。私達遊んでるだけです。西園寺さんといると楽しくて。」
「そう?それなら廊下は走らない、これだけは守ってね。」
「はぁい。」
靴を持ってケタケタ笑いながら走る子、それを必死に追いかける子。
その現場を見ても、先生は分からないものなんだなって思った。
この子達が「遊んでるだけ」「楽しくて」そう言えば、仲良くしてると思うんだな。
そう思った。
私はこの2人の先生に対する態度をみて思った。
先生の前だから良さそうな言葉を言って誤魔化したよね?
これって、遊びとかイタズラじゃなくて、意地悪でしょう??
困らせるのが趣味
2人の様子は本当におかしかったと思う。
ケラケラ笑いながら私をみるのを、やめてほしかった。
だけど。
それが毎回じゃないから困る。
普通にしてる時もあるから、なかなか判断がつかなかった。
普通にしている時は、本当に普通で。
たまに家に遊びに来ることもあったし、週に1回一緒にバレーボールにも行った。
ただ。
だんだん「一緒に帰ろう」以外でも、おかしなことが。
ちょっとずつ、増えていった。
約束しておいて
その日、カワちゃんは家に遊びにくると言った。
カワちゃんは。
「私が飲み物を持っていくから、西園寺さんは『ホットケーキ』焼いておいてね。」と言った。
私はせっかくカワちゃんが遊びに来るのだからと、せっせとホットケーキを焼いた。
約束の時間になってもカワちゃんはこない。
おかしいなと思う。
お迎えに行ってもいいけど、入れ違いになったら困る。
どんどん冷たくなってゆくホットケーキを目の前にしながら。
私はカワちゃんを待っていた。
約束から1時間以上経ってもカワちゃんが来ないので、心配になってカワちゃんの家に電話をしてみた。
するとママさんが電話にでて、カワちゃんは出かけていると言う。
じゃあこっちに向かってるのかな、と思いながら待つ。
でも結局。
何時間待ってもカワちゃんは来なかった。
翌日聞いたら。
「あ、ごっめーん。○○ちゃんちに行ってた。そういえば約束してたっけ?うっかり忘れちゃって、ごめんねぇ。」とカワちゃんは言った。
また、ケラケラ笑ってた。
こんな事が。
この後も数回あった。
だけど、普通に約束を守る時もある。
だから本当にうっかり忘れちゃったのか、故意なのか。
全く判断がつかなかった。
1人にさせて笑う
バレーボールの待ち合わせでも、似たようなことがあった。
待ち合わせ場所に、時間になってもみきちゃんとカワちゃんが現れなかった。
これ以上遅くなると遅刻してしまうので、1人で歩き出した。
すると。
後ろの方から「クスッ。クスクスッ。」と笑い声がする。
私の後ろ、30メートルくらいにみきちゃんとカワちゃんがいた。
(なんだ、ちょっと遅れただけだったのか)と思って、2人が来るのを立ち止まって待っていると。
みきちゃんとカワちゃんも立ち止まる。
どういうわけだか30メートル以上近づいてこない。
私のほうから近づくと、走って逃げてどこかの角を曲がりいなくなる。
仕方がないので、また1人で歩くと。
クスッ、クスクス・・・が聞こえだす。
私が1人で歩いているのをみて、2人はずっと後ろから笑っていた。
さすがにイラッした。
バレーボールの練習場所である体育館に着いてから。
みきちゃんとカワちゃんに、なんで後ろからついてきて笑ってたのか聞いた。
そしたら。
「え?別に西園寺さんの事を笑ってたわけじゃないよ?なにそれ。自意識過剰じゃない?あはは。」
「じゃあ、なんで私が近づいたら逃げたの?」
「はぁ?そんなの知らない。たまたま走りたかったからじゃない?」
そう言われても、さすがに納得できなかった。
私は思った。
まじめに律義に、この子達との約束を守ってるから。
だからこうなってるんだな、と。
私もこの2人と同じように。
約束を破ったり、忘れたり、知らんぷりしてもいいよね。
それでいいよね。
そう思った。
コンプレックスを刺激していた
また「一緒に帰ろう」と誘われた。
はいともいいえとも言わずに、受け流した。
今日は1人で帰る。
この2人を待つつもりはない。
そう思って帰りの会が終わって普通に家に帰った。
というか。
帰ろうとして歩いて、途中で忘れものに気が付いた。
引きかえして教室に戻ると。
人のいなくなった教室から、女子の話し声がする。
「じゃあさ、今度は『西園寺さんがC君と目が合って、それで。目が合うのは恋の始まりって言ってた』にしようか?」
「いいねぇ、それ。天才!あはははっ。」
私は教室をそっとのぞいた。
変な噂を流してた犯人がそこにいる。
だけど、見る前から分かってた。
靴が下駄箱にあった子。
そしてこの聞き覚えのある声。
私がすでに帰ったと思って油断したんだろう。
そう。
カワちゃんとみきちゃんがそこにいた。
噂話を流していたのは、カワちゃんとみきちゃんだった。
いじめの快楽は一瞬
それを知ったのは6年生の終わり、卒業まであと1カ月といった頃だった。
その場で2人を問い詰めてもよかったけど。
あと1カ月もすれば卒業だから。
そっとその場を離れて家へ帰った。
ここで揉めて、残りの1カ月が大変になったら困る。
それに。
それに悲しかった。
色々あったけど、それでも友達だと思っていたから。
一緒にバレーボールをやってきたチームメイトだと思ってたから。
2人がなぜこんな事をしていたのか、さっぱりわからなかった。
だけど、このまま2人と一緒にいるのは危ないと思ったので、できるだけそっと距離を置いた。
何にしても、だ。
こんな事をやって何になるのか。
いやらしい噂話を流してみたり。
約束を平気で破ったり、困ってる私をみて笑い転げたり。
それをやってる瞬間は。
この子たちはいい気分になって、すっきりするのかもしれない。
自分の方が上だと、優越感を味わえたのかもしれない。
困らせてやって、いい気味だと思ったのかもしれない。
だけど。
そんなの一瞬じゃない?
人に意地悪をして得られる快楽なんて、一瞬じゃない?
だって何の現実も伴ってないもの。
ただ一時、そんな気分になれただけ。
本当に実力があるわけでもない。
本当に魅力的なわけでもない。
本当に人として素晴らしいわけでもない。
ただ。
ただ私を使って、一瞬そんな気分を味わえた。
それだけだ。
そんな行いに何の価値があるのか。
そこまでして執拗に陰湿ないじめに興じるのはなぜなのか。
私には彼女たちの気持ちが、さっぱりわからなかった。
自分で乗り越えるのが筋
その謎が解けたのは。
バレーボールの練習も最後かどうかというくらい、卒業が差し迫った頃だった。
お昼休みに、おにぎりを食べながら6年生女子がお喋りをしていた。
私は仲間に入れないので、その近くで1人でおにぎりを食べていた。
すると、そのなかの1人が。
「ねえ、カワちゃんはまだ『桑野くん』が忘れられないの?」
と言った。
桑野君。
ああ、桑野君、あの転校していった子だね。
「ちょ、ちょっと。恥ずかしいからやめてよっ。」
カワちゃんは顔を真っ赤にしていた。
「手紙の返事、きたぁ??」
「・・・こ、こない。」
ここで6年女子が「あぁ~」とうなだれる。
それと同時に、数人の女子が私を見た。
何人かと目があった。
ん?なんだ?
妙に意味深な目線だったので、その女子に帰り道でこっそり聞いてみた。
すると。
カワちゃんは転校していった桑野くんがずっと好きだった。
転校を知って、意を決して告白をした。
だけど「気になる人がいるから」と断られた。
その、桑野君の気になる人が西園寺ではないかとカワちゃんが言っている。
で、みきちゃんはカワちゃんを応援してて、桑野君とうまくいかなかったことを残念がっている。
「あんた知らなかったの?」と言われた。
ええ、そんなの全然知りません。
なにそれ?
確かに、桑野君とは仲が良かったかもしれない。
でもそれは。
桑野君も母子家庭→再婚家庭だったからだ。
これは2人の秘密だった。
桑野君と私は幼い頃、偶然にも同じ保育園だった。
転校してきて気がついた。
桑野君をみて気がついたというよりは。
もしかしてと思ってたんだけど、桑野君のお母さんをみて確信した感じ。
桑野君も同じだったようだ。
ある時桑野君にこっそり声をかけられて。
「同じ保育園にいたよね?」と話をした。
桑野君とは。
お互い元母子家庭の子どもで、色々苦労しちゃった間柄だった。
だから仲が良かっただけなんだけど、それをカワちゃんは勘違いしたわけね?
それにしたって「気になる子がいる」なんて、よくある傷つけないための断り文句じゃないの。
それを私だと決めつけるなんて、お門違いもいいとこだ。
それでか。
それで私を標的にしていたんだね?
カワちゃんとみきちゃんが、色々やってたのはそれが理由なんだね?
私はどうやら、全く気が付かない所でカワちゃんのコンプレックスを刺激していたようだ。
だけど、気が付いて欲しい。
カワちゃんがうまくいかなかったのは、私のせいだろうか?
失恋は確かに辛いと思う。
ずっと好きだったら尚更。
だからといって、その矛先を人に向けるのはどうか?
私のせいにしてしまえば、簡単なのかもしれない。
私のせいにしてしまえば、楽になるのかもしれない。
でもそれって本来は。
自分で乗り越えるべきところじゃない?
コンプレックスを刺激されていたとしても。
それをどうにかできるのは、私ではない。
自分自身なんだと気がついてほしい。
人に嫌がらせをして、自分のもやもやを晴らそうとせずに。
もっとちゃんと自分の心に向き合って。
自分の力で乗り越えられたら。
その経験は自分自身の宝になるんじゃないかな。