ひらりが小学校に入学して。
1年生の頃は訳も分からないままご近所からはずされ、気付かぬうちに人が離れていった。
2年生になると、ひらりから仲の良い友達を引き離そうとする輩がいることに、はっきりと気がついた。
3年生ではそれがもっと顕著になり、ひらりに一人の友人もできないよう立ち回る子ども達に囲まれていた。
ここまでくれば。
鈍感で気がつかない私でも。
悪く受け止めないようにしている私でも。
三津屋さんのやりたかったことに気がつく。
そう。
三津屋さんは、私達親子を。
孤立させたいようだ。
地域からも、学校からも。
孤立させて、誰からも相手にされず。
無力感に打ちひしがれ、傷つき悲しみ苦しむ私達親子を見たいのだろう。
隣の家から。
じっと私達を観察して。
窮地に追い込まれていく私達を感じて。
にやりとどす黒い笑みを浮かべる三津屋さんがみえた気がした。
その光景がすっと心の中に浮かんできて、私は背筋が凍ってぞっとした。
本当は私にしてやりたかったこと
そもそも三津屋さんは、私を孤立させたかったんだと思う。
ご近所仲良し3人組から私を外して。
堀内さんをそそのかして、おかしくさせ。
いじめの実行犯に仕立てて。
だけど私も他のご近所さんも大人だった。
地域の住民も年齢様々、考え方も様々、家族構成も色々。
何より三津屋さんの日々の行いを周囲は見て知っていた。
だから、三津屋さんはいじめ仲間を増やしたくても増やせなかっただろう。
私自身もお付き合いする相手は自分で選べたし。
それにこの地域以外にも、例えばひらりの習い事関係などで人付き合いはあった。
そう、三津屋さんがいくら頑張ったところで私を孤立させることはできなかった。
せいぜい嫌な思いをさせるのが精一杯。
だけどそれで三津屋さんは満足できなかったのだろう。
孤立させたいという思いがどんどんエスカレートしていったように思う。
孤立させて得るもの
「孤立させる」その目的は何だろうなって思った。
もしかしたら、その答えは「時任さん」におこったある出来事から推察できるかもしれない。
あれは2年生の運動会の時だったか。
私はグラウンドの隅で集まっているご近所ママ集団をみかけた。
ところが、その集団のなかに時任さんがいなくて。
少し離れたところで、表情を無くしてぽつんと1人で佇んでいる時任さんをみた。
瞬時に感じ取った。
あ、どういうわけだか時任さんが外されてる。
その光景は子ども達のほうも同じで。
時任三美香ちゃんは、ご近所同学年女子の仲間に入れてもらえてなかった。
三美香ちゃんもぽつりと外されていた。
なんでそんなことを、と思うけど。
恐らくは三津屋さんと意見の食い違いがあったのだろう。
三津屋さんは自分と同じじゃないと、仲良しじゃないよねって考え方をするから。
自分に自信があって自分の考えを素直に言う時任さんとは、ぶつかりやすかったんだと思う。
その後どうなったかな、と思っていたら。
しばらくして時任家はご近所メンバーに復帰していた。
だけど前とは様子が違う。
なんて言うか。
時任さんは三津屋さんに絶対服従という雰囲気で。
一生懸命ご機嫌をとっていた。
時任さんは外されて、子どもも外されて。
それで恐怖を感じ、三津屋さんに許しを乞うたんだろう。
その結果。
仲間には戻れたけど、今後三津屋さんには逆らわない時任さんができあがった。
逆らったらどうなるか、それを経験したから。
だから時任さんは三津屋さんに対して対等ではなくなって。
とても従順になっていた。
もしかしたら。
三津屋さんが、私達親子を孤立させて得たいのはそれかもしれない。
自分に対する畏怖。
自分に対する服従。
そうして三津屋さんは。
私に対して優越感を感じ、支配欲を満たしたいのかもしれない。
自分の力を示したい
他にも、こういったメッセージがあるかもしれない。
三津屋さんはいつも友人に囲まれている。
1人でいることがほとんどないし、1人でいるところを見かけない。
それが顕著なのが「授業参観」だ。
子ども達が授業を受けている横で。
教室の横の廊下で。
授業参観中だけど構わずに、三津屋さんはママ達と廊下でおしゃべりしている。
先生が授業をしている横で高らかに笑うママ達の声が響く。
授業参観なので、授業をみると思いきやみてない。
ママ達と親睦を深める時間になっている。
「私は人に好かれるのよ。」
「友人に囲まれて充実しているの。」
それはあたかも、自分の持ち物を自慢しているような。
自分の力を誇示しているような。
そんな様子にも思えた。
従業参観なのに授業を見ない三津屋さんに、私は違和感しか感じないが。
まわりのママ達は暖かい目でみていた。
それがまた異様な光景に思えて。
そこでまた感じてしまう。
三津屋さんの思いを。
私は何やってたってママ達に受け入れてもらえるのよ。
だってそれだけの力があるから。
特に三津屋さんが、私に何かを言ってくるわけではないけど。
私の力をごらんなさい!といった、そんなメッセージを忍ばせている。
そんな気がした。
子供を狙う効果
ママ友いじめの何がつらいかって、それはわが子が巻き込まれることだ。
自分だけやられている分にはまだどうとでもなる。
だけど子どもを巻き込まれたら。
凄くショックだし、自分のせいでって思っちゃうし、自分のこと以上に子どもの心が傷つくのが痛い。
そしてその事を。
ママ友いじめをする側はよく理解している。
私を孤立させられなかった三津屋さんは。
小学校入学を機にひらりも巻き込んでいった。
それはまずひらりと私の友人関係を把握するところから。
家が隣なので、誰が遊びに来ているかわかる。
同じクラスなので、誰と仲が良いかわかる。
そうやって三津屋さんは。
1枚1枚皮を剥いでいくかのように、私達親子の友人関係を壊していった。
自分が後で困らないように、はっきりとは言わずに匂わせて。
仲良しならわかるよね、でニュアンスを伝えて。
何かあれば自分は実行犯にならずに、誰かを差し向けて。
逃げ場のない教室で
大人のいじめであれば、避難場所は色々ある。
昔の友人を頼ってもいいし、いじめをやる人のいないコミュニティを持つこともたやすい。
だけど子どもは違う。
一日の大半を過ごす教室。
放課後一緒に過ごす友人。
学校の友人関係がメインになりやすい環境にある。
そしてそこから逃避するのは簡単ではない。
だから皆、学校の人間関係に注意を払う。
隣近所の子と仲良くしようとする。
学校で困らないために。
そんなふうに、逃げるのが困難な教室の中で。
ひらりは追い詰められていった。
友達を連れていかれて。
友人ができないように見張られて。
心が痛んでも、悲しくても。
それでも人を悪いと思わないように工夫して受け止めてきた。
自分を変える事で。
自分を高める事でなんとか切り抜けようと試行錯誤していた。
向けられ続けた純粋な悪意
だけど、そんな私達親子に向けられたのは。
「孤立させたい」という純粋な悪意だった。
三津屋さんは、隣の家に住みながら。
隣の家に住んで様子を伺いながら。
ママ達を使い、子ども達を使い。
ずっとあの手この手で自分の欲を満たそうとしている。
私達親子を苦しめたい、陥れたい。
そして自分が勝ったと思いたい。
自分が正しいんだと知らしめたい。
私達をいじめることを通して。
自分の価値を、自分の力を感じていたい。
そのことに後ろめたさはこれっぽっちもなく。
それどころか三津屋さんは。
次はどうしてやろうかと、とても楽しんでこのいじめに取り組んでいるように思えた。
それくらい純粋で、剥き出しの悪意だったと思う。
その剥き出しの悪意で、三津屋さんはまだ幼い子供を狙っていた。
母である私を傷つけるために。
ひらり自身を傷つけるために。
自分はいじめにあいたくないだけ
そんな三津屋さんを間近でみながら。
なぜ他のママ達は離れて行かないのかと不思議になる。
人の悪口を言う。
人の評判を下げる。
人を憎ませる。
そんなことを大人になってまでやっている人に、なぜみんな付いて行ってしまうのか。
一歩間違ったら、自分にその悪意が向けられるかもしれないのに。
それでも一緒にいるのは何故なんだろう。
いじめなんて嫌だよねと言うけど
ママ達は皆こう言う。
「いじめなんてイヤだよね。」
実際、このご近所に住む同学年女子ママたちもそう言っていた。
年頃になっていじめに遭わないように、小さい頃から仲良くしよう。
こうやって私達助け合って大きくなろうね。
そんな話を、ご近所のママ達はしていた。
なのにそのママさん達が、知ってか知らずかいじめに参加している。
私達親子には見向きもしないで、私達親子を外しながら。
ご近所グループをつくり楽しそうにイベントを行っている。
この状況を、おかしいと思っている様子はない。
私達など初めからいなかったかのように振舞う。
いじめはイヤだと言いながら、いじめに参加する。
そんなママ達の気持ちが、私はずっと理解できないでいた。
自分じゃなければいい
よくよく観察してみれば。
結局のところこういうことだと思った。
いじめがイヤ、ではない。
(自分が)いじめ(られるの)がイヤ、なのだ。
いじめそのものを避けたいと思っているわけではなくて。
自分にいじめがやってくるのがイヤ。
だから、誰かがやられている分にはOK。
自分じゃなけれないい。
自分が安全でいられるなら、誰かがイジメられていても構わない。
むしろ自分を守るためならいじめに参加する。
自分を正当化する理由なんて、いくらでも見つけられる。
「だって○○さんって、こういう人らしいから。」
「○○さんが酷い事言ったらしいから。」
「○○さんをみんなが避けてるから。」
実際、私に噂や悪口の真相を確かめに来た人は1人もいなかった。
みんな三津屋さんの言うことをそのまま受け入れていた。
でもそれで良かったんだろう。
自分がターゲットじゃないんだから。
それだけが大事なんだから。
そして、こういう親元で育てば。
子供も自ずと似てくるもの。
ひらりが教室で孤立していっても。
友人を連れて行かれる様を知っていても。
だれも、なにも、言わないし。
だれも、なにも、関わらない。
自分じゃなければいい。
この地域は、この学校は、そういうところだった。
そしてその環境が三津屋さんにはとても居心地が良かったんだと思う。