転校してから半年がたった。
ひらりの学校生活は順風満帆そのもので。
毎日楽しく暮らし、笑顔が絶えず、面白エピソード満載で日々を過ごしていた。
そんな様子だったから。
ひらりは前の学校を思い出すこともなかったし。
前の学校の子の顔と名前すら思い出せないレベルになっていた。
一方、三津屋家は。
相変わらずしんと静まり返っていた。
さすがに夏休みになったら、三津屋家にも少し活気が戻るんじゃないかと思ったけど。
全然。
全く。
誰も来ない。
三津屋さんがこれまで築き上げてきたママ友関係は。
結局、全部上辺だけのつながりだったのだ。
三津屋さんが寂しくなったこの時期に。
もしかしたらまた堀内さんが戻ってくるかなって可能性もあったけど。
堀内さんも。
もう三津屋さんには近づかなかった。
やはり堀内さんも、深く傷ついたのだろう。
あれほど人に囲まれて。
あれほど高らかに笑い転げていて。
あれほど毎日楽しそうにしてたのに。
まるで三津屋家だけ。
三津屋家だけ取り残されて時がとまったような。
静けさだけがずっと。
三津屋家だけを包み込むように続いていた。
孤立を願い続けた親子
お隣に住んでいる三津屋さんと。
初めは仲良くお付き合いしていた。
妊娠&出産して生活ががらりと変わった私にとって、ママ友の存在は大きく心強いものだった。
だけど。
そんな関係も長くは続かなかった。
三津屋さんが私に対して行ったのは、いじめだった。
大人になってまで「無視」「悪口」「仲間外れ」をする。
そしてそれに協力する人もたくさんいた。
まだ幼い子供を巻き込み。
地域から締め出され。
学校でも追い詰められてゆき。
ひらりが体調を崩して不登校になった後でさえ。
私達を孤立させようとずっと動いてきた三津屋さん。
隣の家に住む、私達親子の「不幸」と「孤立」を8年間願い続けた三津屋親子。
その親子が。
8年かけてたどり着いた場所は。
自分たちが心から望んだ場所だっただろうか?
コンプレックスを刺激
三津屋家が誰とも付き合いがなくなって。
三津屋さんの影響力が霧散したせいか、私の耳にもいくつかの情報が入ってきた。
私が三津屋さんになんて言われていたか。
三津屋さんは私を、どういう人間だと吹聴していたか。
それをちょっとだけ垣間見ることができた。
その中で特に驚いたのが、こういう話。
最初からここまで読んでくださっている方なら、ピンとくるかも(笑)
三津屋ママがスーパーで買い物をしていたら、峰岸さんにばったり会って。
ちょうどそれは、桃亜ちゃんがお菓子を欲しがってぐずっているところだった。
斗輝くんもまだ乳児で泣きだしそうだったので、桃亜ちゃんを峰岸さんに預けて三津屋ママはレジへ行った。
すると。
ぐずる桃亜ちゃんを羽交い絞めにして、口を無理やり塞ぎ。
静かにしろと、まだ2歳の桃亜ちゃんを脅している峰岸さんをみてしまった。
桃亜ちゃんは怖さのあまり、ぐずるのをやめたけど。
レジを終えた三津屋ママの胸に飛びこんできて恐怖で震えていた。
峰岸さんは、自分の子どもには甘いけど。
人の子のことはどうでもいいんだよ。
まだ2歳の子供に、恐ろしく冷たいことを平気でできる人なんだよ。
そんな噂話を流されていたのかと、心から驚愕した。
だって、実際の話はこうですから。
簡単に例えれば。
我が家でごちそうしたコーヒーを美味しいといって飲んでおいて、外では「あの家で醤油を飲まされた!」と言いふらしている感じ?
物事の外側、物事の見た目はよく似ているけど。
中身が全く違う。
そしてその、中身が違う部分においては当人同士にしか真実はわからない。
あの時。
桃亜ちゃんを預かっていたあの時。
三津屋さんは確かに「ありがとう」と、言ったのに。
それなのに、こんなことを。
そうまでして三津屋さんが得たかったものは何だろう。
優越感?
そうまでして三津屋さんを突き動かしてきたものって何だろう?
8年もかけて欲したものは何だったの?
自分の心を満たすには
ただこの、三津屋さんが流していた噂話を聞いて思った。
たぶんこの出来事こそが、本当の引き金だったのかもしれないって。
三津屋さんは桃亜ちゃんの大絶叫の泣き声にさらされて。
子育てに困惑して、追い詰められていたのかもしれない。
そんななかで私が。
赤の他人で、隣に住んでいる同じ歳の子を持つ私が。
桃亜ちゃんのぐずりを何てことなくおさめてしまった。
それが三津屋さんにしてみたらショックだったのでは?
自分にできないことを、私が難なくやってしまったから。
同じ歳で同じ性別のひらりは、落ち着いた子でぐずることはあまりなかった。
それも三津屋さんのコンプレックスを刺激してしまったのでは?
なんでも「同じ」「一緒」が大好きな三津屋さんだから。
我が家と三津屋家の子育て状況が違うことに、イライラした?
私が娘を簡単そうに育てていて、そう見えて、イライラした?
そう考えると。
隣に住み続けて。
子ども同士が同じ学校に通い続けて。
三津屋さんはずっとずっとコンプレックスを刺激されていたの?
私にもしつこくいじめをしていたけど、ひらりにも同じくらいしつこかったのはそういう理由?
だけどそれって。
私達親子にはどうすることもできない問題。
こっちだって一生懸命生きているだけだもの。
人を陥れて。
人の足を引っ張って。
それは一瞬、自分が相手より優れていると錯覚できるだけで。
実態が全く伴わない行為だ。
そんなことをしても。
満たされた気持ちになるのは一瞬だけ。
コンプレックスや焦り、妬みや嫉妬から自分を解放するには。
自分の幸福に気がつくこと。
そして、自分で自分を高めることだ。
三津屋さんには素敵なところがたくさんある。
人の心をつかむのが上手いし。
明るくて話し上手。
8年間もかけて大規模ないじめを行えるくらいの「組織力」と「粘り強さ」がある。
(え、ディスってません。褒めてます(笑))
だから本当は。
三津屋さんは自分で自分を満たそうと思えば、できたんじゃないかなって思う。
それでちゃんと幸せになろうと思えば、なれたんじゃないかなって思うよ。
人と人をつなぐもの
こうやって毎日静寂に包まれている三津屋家をみていて思う。
あれほど群がっていた人々。
それが今では影すら見かけないほど、どこにもいない。
結局のところ。
三津屋さんが皆と繋がっていたのは、恐怖や損得の部分でだけだったんだと思う。
三津屋さんと一緒にいれば安心だから。
合わせておけば安全だから。
自分はターゲットになりたくないから。
実際に。
三津屋さんは地域の習い事でも、我が家の悪口を言っていた。
その習い事は「今の小学校」と「前の小学校」両方の親子が通っていた。
隣の学区なので当然そうなる。
だけど、三津屋さんの悪口を聞いていじめに参加するのは「前の小学校」の親子だけなのだ。
それは何故か?
それは、今の小学校には三津屋さんの影響が及ばないからだ。
だからみんな自分の意志で判断してる。
前の小学校では。
学童保育、登下校、クラスメイトなどなど、三津屋親子の影響が避けられなかったから。
だから三津屋さんに従っていたのだろう。
自分たちの身を守りたい。
自分たちは嫌な思いをしたくない。
そういう人たちと、本当の意味で友達になれるわけがない。
相手を想う気持ちでしか繋がらない
子どもがいる人なら誰しも。
避けて通れないのが「ママ友」付き合いだ。
ご近所だったり、幼稚園保育園、小学校など。
子どもの絡みで人とのかかわりが増えてゆく。
そんななかで。
人と人が出会って。
出会いに感謝できるような素敵な関係になれたら。
それが一番いいよねって思う。
三津屋さんは、自分を満たすことに走ってしまった。
自分だけを満たすことに夢中になった。
だからそこにたどり着いてしまった。
自分だけの。
自分だけしかいない世界に。
望んだとおりの「孤立」した世界に。
私達はもう大人で。
子どもを持つ親で。
それなら。
子ども達にもちゃんと幸せな人間関係を築いている姿を見せなければいけない。
本当の意味での、円満で幸せな人とのかかわり方を見せなければいけない。
大人たちが互いを想いあい、人として円満に繋がれるなら。
子ども達だってそれを学んでいくよね。
そしたら、今あるいじめだって。
起こらずに済むいじめだってあるんじゃないかな。
人と人は。
不安・恐怖・支配では繋がれない。
そんな上辺だけの付き合いは、簡単に消え去る。
自分の人生の行き先は、自分で決められる。
互いに相手を想いながら関わることができるのなら、心が満たされる世界が待っているだろう。
互いに相手に感謝できる世界が待っているだろう。
ママ友付き合いは難しい。
だけど本当は簡単でシンプルなのかもしれない。
互いを想いあう事。
出会いに感謝すること。
それだけで、全然違うんじゃないかな。
損得勘定で自分の行動を決めない。
恐怖心に振り回されて決断しない。
いじめをやる人の結末を知っているなら。
いじめが怖くて従うのも、いじめを避けたくて合わせるのも。
全部違うんだなって、わかるよね。
そんなのが人と人のつながりのはずないって、わかるよね。