ママ友いじめから知った人生で大切なこと
私の体験が少しの希望になることを願って
幸せになる

90.修業の場に残る人達。人としての生き方を問われ続けている

 

三津屋家は相変わらず静かで。

これまで数年間にわたって、パーティやらイベントやらで賑やかだったのが信じられないくらいだった。

あんなに、たくさんの人が訪れていたお家なのに。

 

だけど思う。

私達親子が、三津屋家主催のいじめによって地域と学校から締め出されて。

 

今度はそのいじめの首謀者だった三津屋さんが、締め出されて。

 

周囲にいる人々が、ただただ同じ間違えを繰り返してるようにみえる。

周囲にいる人々が、自分のしていることについて全く理解していないようにみえる。

不安だから、怖いから、面倒に巻き込まれたくないから、自分は安心していたいから。

 

そうやって。

自分がこれまでやってきたことや考えてきたことから目を逸らして。

 

私達は「善人」ですよ。

私達は決して間違ったことはしていません。

私達は知らなかっただけで、被害者なんです。

 

こんなふうに。

自分自身に言い訳をして。

みんなで心に蓋をしあって。

 

だからそうなってるんだろうね。

いつまでも、いつまでも。

同じことを繰り返して、その修業の場から卒業できずに。

 

気付きや学びを恐れて避けて。

変わらないことを望んでしまっている。

 

それで皆はいつまでも。

信用できない人間関係や、傷つけあうもの同士のなかで暮らして。

ずっと修業の場にいるんだろうなって。

私にはそんなふうにみえた。

 

いつまでも満たされない理由

そうやって、責任を誰かになすりつけて。

自分は悪くない、自分は良い人間だ、自分は被害者だ。

そんな生き方を選択する人は多いようだし。

だからこそ大人になってまで平気でいじめをやれる。

 

いじめに平気でのっかるママさんに対しても思ったけど。

50.親の影響は大。被害に遭わないよう打算的なママ友と決別 それにしても。 細貝さんも、美鈴ちゃんも、どうして麻未ちゃんのことは責めないんだろうと思う。 車の中でも細貝...

 

自分の考えで決断する事、自分の責任で決断することを放棄して。

誰かの言うこと、誰かが決めたことに従うことで安心を得る。

 

自分を信じられなくて、自分というものが空っぽ。

 

虚無と責任放棄の蓄積が彼女達の人生なんだろうなって思う。

きっと、ずっと、満たされないまま生きてるんだろうなって思う。

 

手っ取り早く心を満たしたいからこその、その行為が。

更に自分の首を絞めていることに、なかなか気がつけない。

 

それはきっと、怖いから。

自分をみるのが怖いから。

ただ生きているだけの人生

転校した今でも。

いじめをやっていた前の小学校の面々は、私を避ける。

 

よく行くスーパーのレジにいたら、入り口に見たことのある人がやってきた。

ご近所メンバーの1人だった。

 

ちょっと見ていたら、一瞬目合って。

相手は私だと気がついたらしく、持っていた買い物かごを戻して。

回れ右していなくなった。

 

多分それは、私を嫌っているからではなくて。

自分がしてきたことを思い出すから。

それで私を察知すると、逃げるようにしていなくなるのだろう。

 

実はそれを何度か経験していた。

 

そうやって、私を避け三津屋さんを避け。

一体、自分が平和でいるために何人を避けて生きるつもりだろう。

 

自分の心の平穏のために、誰かを捨てる。

それは人として生きているのではなく、命があるからただ生きているだけ、にみえる。

 

ただ生きているだけの人生は楽しいだろうか?

ただ生きているだけの人生は幸せだろうか?

彼女達は、毎日何を思って生きているのだろうか?

 

人としてどうあるべきか。

様々な出来事から何度もそれを問われただろうし、自分を見直すチャンスだってあっただろう。

皆で間違えば怖くない

そうやって目を逸らしながら生きて。

それでどうして何も変わらないのかと言えば。

 

一番の理由はこれかなって思う。

「周りがみんなそうだから。」

 

自分がどう思うか、自分がどう感じたか、自分はどうしたいのか。

それよりも、みんなが。

 

みんなが同じ考えなら、それが正しいだろうと。

みんなが同じ考えなら、そこから外れる必要はないと。

多数の意思、世間の意思が、自分の考えであるとすり替えてしまう。

 

そこで考えて欲しい。

世間の言う幸せ、世間の言う正しさ。

それって本当に本当に。

自分に当てはまりますか?

自分が欲していたものですか?

 

多数に身を任せて、多数に考えを預けて。

そうしていたら安心で悩まずに済むかもしれない。

 

だけどそれと引き換えに。

自分自身の幸せや、自分自身の考えを失ってはいない?

 

だから。

だからいつも満たされなくて。

その場に流されるようにして生きてしまうんじゃないかな。

 

普通や常識の狭さを知る

私は幼い頃、母子家庭に暮らす子どもだった。

その頃の世間の目は冷たくて、厳しいものだった。

54.社会的弱者を更に追い詰めるのが世間だと知った幼少期 ここで少し、私が幼い頃うけた「いじめ」について触れてみようと思う。 私はいじめをやった人の末路を知っている。 私はど...

 

だけど今は。

母子家庭も増えたし、社会的な理解も進んでいる。

当時はなかったような、色々な支援が存在している。

 

また、こんな例もある。

幼い頃、学校では「いじめられる側にも責任がある。」とよく言われた。

それで本当に辛かったし、きつかった。

 

だけど今の学校現場では。

いじめる側の心に問題があると周知されているし。

いじめられた側に責任があるとは絶対に言わない。

 

そう思えば。

あの頃と今と、世間が言ってることは180度違うのだ。

 

結局。

世間の言ってることが、いつでも正しかったわけではないのだ。

 

皆の思う「普通」や、皆の思う「常識」は。

必ずしも正しいわけではないし、必ずしも皆にとって納得できるという類のものではない。

 

普通や常識に当てはまらない人はたくさんいるし、普通や常識に傷つき苦しむ人もいる。

 

多数である世間が言う「普通」も「常識」も。

狭くて小さなものだ。

 

確かに皆で共にこの社会で生きてゆくためには、普通も常識も必要。

だけどそれが万能かと言ったら、それは違う。

 

時と場合によって、相手が誰かによっても、違ってくるものなんだと。

多数の考えに流されずに、自分の心がなにを感じているかに目を向けて欲しい。

全ては変わってゆく

世の中も人もかわってゆく。

私達を取り巻く環境や、生活様式も変わっていくし。

人の考え方だってどんどん変わっていく。

 

不便を感じれば、より使いやすくするにはどうしたら良いかと考え改良されるし。

心の痛みを知れば、次はどう行動してどう受け止めればいいかを学ぶ。

 

そうやって。

間違えたり失敗したりしながらも、全ては良い方向へ進んで変化していく。

 

そんななかで。

変わらない事を望むのは。

いつまでも安心と安定を求め続けるのは。

変化することを厭うのは。

 

動かない水が、濁って腐るのに似てると思う。

 

いじめをやってしまったことから、学ぶのか。

いじめをやったけど、無かったことにするのか。

 

より良くなるために。

より良くなるために、私達の元には様々な経験がやってくる。

より良くなるために、私達の元には様々な学びがやってくる。

 

変化を恐れずに。

自分自身を振り返って。

人としてどうあるべきか、もう一度自分の心に問いかけてみて欲しい。

 

自分に向き合い幸せになる

目を逸らして、考えないようにして、無かったことにするのは、心の平穏のために必要なのかもしれない。

だけどそれでは。

いつまでたっても満たされないし、修業の場から離れられないだろう。

 

でさ。

修業し続けるのはもうやめない?

 

信用できない人達との人間関係や、打算と損得勘定で目の前の利益に飛びつくこと、空気に合わせて決めること。

自分を失いながら生きるのをもうやめにしてさ。

 

怖いかもしれないけど。

自分自身に向き合って。

良い所も悪い所も受け入れて。

 

全部それが必要だったんだよ。

無駄でもなかったし、失敗でもなかった。

 

今この時。

自分の望みに気がつく為に。

全ては自分をより良くするために、全部必要なものだったんだって受け入れて。

 

それで。

それで自分が本当に望むようにしてみたらどうかな?

自分が「幸せだ」って思える人生に。

自分の足で選んで、自分の足で進んでみたらどうかな?

自分らしく心地よく生きる

自分の人生だから。

自分の人生に責任を持つのは自分だ。

 

誰かが自分をどうこうしてくれるわけではないし。

誰かが自分をどうこうできるわけではない。

 

結局のところ。

安心のために誰かの考えにすがっても。

責任は自分にあるのだ。

誰かのせいになんてならないのだ。

 

この人生の主人公は自分自身。

 

自分の良心に従って。

自分の心の声をきいて。

自分を一番の相棒にして。

 

心が心地よいと思う方へ。

明るく感じる方へ。

わくわくする方へ。

 

人生の舵をきって、進んでみたらどうかな。

 

私とひらりは。

世間体の良くない「不登校」を思いっきり楽しんだ。

そして、心を明るいエネルギーで満たすことがいかに大切かを学んだ。

84.親子で不登校を満喫。常識から抜け出して心を再生させる時 お正月が終わって、冬休みも終わった。 予約していた通りに。 まずは大病院へ診察に行った。 ひらりは順調...

 

心を閉ざさずに。

自分自身から目を逸らさずに。

良いも悪いも全てが自分に必要だったから。

 

そうしてこの世の中で生きながら。

気付きと学びを得て変化しながら。

輝いて生きる毎日を手に入れて欲しい。